見出し画像

父親の話

小学5年生のクリスマスの朝に私は、父親の元へ行き「サンタが来ていない」と抗議をした。5千円札を渡されサティにポケモンブラックを買いに行き、サンタがいない事実に狼狽した。
そんな夢の破壊者父親は中学3年生の春に行方を消した。


元々家に居ても帰宅は夜遅く朝は早い人間だったので、すれ違いのような生活をしていた。
休日は睡眠orパチンコor煙草。
受験生の春に家に帰るとリビングのテーブルに封筒があった。興味本位で見ると、父と知らない女の人と小学生の男の子がマンションの廊下で横並びになった写真だ。
会社もバックれてた。ここまで来ると凄い。
父方の祖父が探偵か興信所でも雇ったのだろう。大工だから金は湯水の如くある。

バカでも分かる。本能で「家族は終わった」と悟った。

気がつけば暑くなる前にマンションを退去し、同じ市内の月4万のボロ長屋で今時珍しい和式便所の家に引っ越した。
隣の兄の部屋は襖1枚なのでプライバシーは皆無。隣の家と騒音の件で喧嘩をしたら男がバットを持ち出す治安底辺の長屋。その家の息子が高校の先輩だ。野球部だろうか、気まずい。


引っ越して数日には父方の祖父が押しかけ、印鑑や通帳を持っていった。母は泣き地獄を見た。
高校生の頃には父親の借金が500万円ほどあり、母が連帯保証人なので払うようにとの通知書が来た。母またもや号泣。いや、4万の家が500万って。
大工の祖父は知らんぷり。湯水の金はどうした。


祖父が亡くなったら私は葬儀場で「おじいちゃん おめでとう」のチョコプレートを付けたホールケーキを食べるつもりだ。
棺桶に花火を入れて最高のお祝いの日にしよう。
「血縁なんだから」と宥めても無駄だ。息子の尻も拭かないが故に、こちらはバランス釜に和式だぞ。
お天道様、どうかはやく回収してくれ。


父親は死んだと思って生活して、正気を保っている。見つけたら殺すから、結果死んでるに変わりない。
母は弁護士に相談して借金はこちらが持たなくても良くなりそうだ。8年も弁護士に通う母には頭が上がらない。


父親が居なくて家に金があまりないとなると、私もそれなりに自立できるようになった。
進学は金が掛かるし奨学金を借りるほど学びたい事も無い。
高校を卒業して就職し給料が貰えるようになり、長屋を卒業し3階建ての黄緑のマンションに引っ越した。追い炊きがあるし、トイレは洋式だ。
幸せの基準値が低いので、常に幸せになった。



母と2人でパスタや寿司を食べ、たまに父親の話をして「野垂れ死にしてると良いね」と2人で微笑む。


ちなみに、母と父の名前を合わせると「誠実」になる。
粋な皮肉だ。


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?