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インスタっぽさと自意識の戦い

あなたはinstagramをためらいなく利用することが出来るだろうか?

こんな質問をするくらいの私にはそれが出来ない。
大学生になってinstagramのアカウントを持っていないということによる弊害が大きすぎることに気づき仕方なくアカウントを作った。
なんでアカウントがないだけでそんな変な感じになるんだ?と思っていたが、大学という場ではちゃんとアカウントを持って、普通に利用していることに対して安心する人もいるのだと知った。最初は普通に楽しかった。友達のストーリーを見るのは暇つぶしにはちょうど良かったし、自分もどこかに外出した時に投稿するようになった。

しかしこの楽しさは徐々に形を変えていく。
それがinstagramとの戦いの始まりだった。

ストーリーであげようと思い画面を開いたとき、ふと思う。

「これは誰のためにやってるんだろう?」

自分のためなら写真を撮って終わりでいい。
なんでこれを誰かに共有しようとしているんだろう。
そもそも誰がこの写真や動画を見たいんだろう。
投稿しようとするたびにそんな自分の声が頭の中を反芻していった。
誰か特定の人に伝えたいのならば個別にLINEに送ればいいやんとか。
これは決してinstagramを楽しく利用している人を斜めに見て批判したいものではない。

ようやく私とinstagramの相性が悪いことに気づいたというだけの話だ。

instagramはある程度繋がりがある人に対して見せたいものを一斉に見せる場であると理解をしてる。多分それが恥ずかしくて仕方がないのだ。
これを「見せたいんだ」という自らの自己顕示欲にあきれてしまうのだ。
本当だったら自分が読んで面白かった本や好きな音楽のこと、ラジオのこと、サウナのこと、おいしいもののこと、それを共有したい。しかしそれがinstagramという場になるとinstagramっぽさに脚色されてしまう。だから投稿がどうしてもキラキラっぽいものばかりになってしまう。自分自身の大半を構成しているのはそのキラキラ以外なのに、プロフィールのページにはさもそれが全てのように鎮座している。それがどうもムカつくし、耐えきれないし、自分が周りに伝えたい言葉とは違うものまで紛れてしまっている自らの投稿を直視できない。

逆にいえば人の投稿を見るのは好きな方なのだ。自分にはできないけど、それを上手く使って楽しめている人を見ると羨ましいとさえ思う。相性がいいんだろうなぁと思いながら投稿を眺めている。

そんな人間がなぜnoteを投稿しているのかと疑問に感じた方もいらっしゃるのではないだろうか。ここは匿名なのだ。知り合いなんかいないし、伝えたいことに関して自分なりに言葉を尽くすことが出来る。それはすごく安心できるし、相性がいいんだろうなぁと思う。

相性大事。苦手に気づけてよかった。なんてね。

おわり


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