白いミライース

高校時代 Kくんと 遊びに行ったりするのが嫌だった。

1988年当時と言えば、高校3年生で、おニャン子クラブ全盛期で、当時流行っていたデザイナーブランド(って言うの?)の服に身を包んだ彼は会うなり上から下まで舐めまわすように人の服を見て外国人の、特に欧米の方がwhy?と言いながら肩をすくめるときのような身体全体の動きを一瞬その表情に浮かべて ふっと息は息を吐き何事もなかったかのように あらぬ方向を見るのだった。

だから そんな彼と予想外に早く旅立ってしまったサッカー部キャプテンの葬式に参列することになりその後はご飯でも、という流れになった時 外国製のジープに乗った彼が我が白いミライースを見ていったいどう思っているのか?と考えるとなんだかおかしくなってしまった 。

この感想は僕独自のものではなく、ごくたまにご飯を食べに行く友人も言っていたから間違い無い。ちなみに彼はそのとき何の車だったっけ?ずっと長らくの愛車のパジェロミニだったような。知らんけど。←この知らんけどは関西人しか使わないらしい。知らんけど。

俳優竹中直人さんは愛車に"高橋"と命名しているそうだが、僕は付けていない。

北の町に住む合気道の先生のところに通うようになってからもっぱら走行距離が増え、彼を酷使して申し訳なく思っている。今日恐る恐る確認したら、もうすぐ125000キロに到達しようとしていた。

有名な中古車屋さんで色だけ指定して探してもらって我が家にやって来た。来た早々バッテリーの調子が悪くなり、件のお店の担当者に連絡したところ、売る時とは打って変わって面倒臭そうな態度だったので、以来彼とは関わらないことに決めたし、車検も高かったので、関わることは無いだろう。

この白い愛車は、家人でさえ知らないことも知っている。

数百円の高速代をケチって下道で2時間半掛けてミーティングに行くことや、気が乗らない時はBluetoothのスピーカーと連携したスマホの音量をマックスにして、スティングの歌を歌うことや、ユーチューブで芸人の動画ばかり観ていることである。

部屋が片付けられないので、後部座席が二組の道着と木剣などで手狭になっていることは知られているかもしれない。

ともかく、いつまでお付き合いできるかわからないが、宜しくお願い致したく候である。



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