見出し画像

ネバネバ・ベキベキに生きてた気づき

突然だけれど、覚書にて。

できないことを、迫られることはとても苦しいと思った。
だから
子供ができないことは、迫ってはいけないと思った。

 とある活動に所属していて、メンバー不足により役目が訪れたのだが、どうにも作業が進まない。日々大切にしたい「かぞくや自分との時間」の方が優先されてしまう。
 子育て支援、ボランティア講師、新築の完成間近と引越し、我が子と持ちたい時間と、自分が作りたいご飯や生活。
 自分の芯がわかりつつある中で、とても心が向かないことを「迫られた状態」だったことを思い出せた。
 なぜ素直に「できない」と言えなかったのか。

今日の課題

 他に通常まわってくる仕事もあったが、これもま優先できない。しかしどちらも自分でないと難しいと思っていた。そう、他の人だって忙しいんですから。
 そして、時間を優先して「迫られた方」を取り組み、上記の仕事は別な人にお願いをした。なんとか、今夜中に仕上げたい。
 
 朝から「私ならできる」と繰り返し口にして、懸命に気を持ち直し、とうとう今夜は絶対にと姿勢を組めば、なぜか子供達が騒ぐのもまたなぜだろう(笑)。とはいえ、何とかこなそうと思った矢先であった。

 ルーなしカレーを煮込む中で、味わいの不足を補う工夫を考えていたその先に、メールが来た。
「昨日から待っています。その後、どうなっているのでしょうか?次の仕事に移れず困っています。」

 いよいよ、「そうか、自分じゃできないのか」と思った。もはや、仕事になんの楽しみもない。そこには「自分は理解されていない、自分もまた相手の行動に理解を示せない」があった。

 「今晩で終えられなかったら、自分では難しいかもしれません(ごめんマーク)」
 目がぐるぐるした。
 なぜあの時「できない」と言えなかったのか。
 それは、グループメンバーからの期待の眼差しに感じたあの一瞬だった。断れない自分の姿を思い出した。無理したら、、、できるかも。無理をするのが前提で引き受けたことが、胸の真ん中をしめてくる。

「忙しいのに、無理しないでほしいです。時間に余裕がないので、断って他の人にお願いしてほしいです。」
 全身が凍った。
 なんと、一晩さえも待ってもらえないのか。
 これから訪れる一晩を、待ってもらえない言葉の衝撃に「自分を信じてもらえない」という感情が湧いた。私の感情が乗っているから解釈には誤解があるかもしれないが、確かに相手は、前夜の完成を予定して一日中待った苛立ちがあるだろう。ここから先の一晩は、私も時間を奪われ、相手も時間を奪われるのは、嬉しくない状態になったのだ。

 「ごめんなさい、〇〇さんに全て頼むというのが、気持ちが辛かったです。力不足にて申し訳ありません。〇〇さんかわれますか?」
 とグループにメールをした。
 私にかわる人は、このひとしかいない。代表だ。
 先の仕事をパスした別な人というのも、代表だ。
 負担は想像でしかないけれど、申し訳なくてならない。
 この後、私たち二人をそれぞれに労いながら、代表は快く引き受けてくれた。
 
 それとも、みんな以外と暇なの?楽チンなの?違うよね?ー知らんけど。

過去にかくれた、課題のかげ

 これは長年抱えている、私の問題なのではないか。

 ピアノを習っているからという理由で抜擢された伴奏者の役を
 他の人に託すのかどうかを迫られたことがあった。
 考えろと放課後残され、泣いた。
 その時に、ちょっと似てるなと思った。

 上司の仕事、会社全体の仕事を助けたくて、
 とにかく必死に働けることがOLとして最高に幸せだった。
(やりすぎて、はみ出し者だったほど)

 しかし今、3人の子供がいる。これは大きく違う。

〜ねば・べき〜 自分のココロはどこにあるか?

 子育て中に起業する女子
結婚退職からの出産で、社会においていかれた気持ちになった日々。
目の前でキラキラとワクワクを形にしていく起業ママを見て、
 そうならねば、きっとできると、躍起になった。
 そして
 活動する上で、子供が邪魔に思えた。
 1日の食事支度をしながら都度片付けをし、母親宛に届く社会的な対応をこなし、夫の探し物を手伝い、、、
くっついてくる子供を邪魔に思い、うるさくする子供に腹を立て、、、
 そう、チガウ。
 一番そばにいて、一番子どもを見ていたい時に、その時間に幸せを感じていたいその時に、子どもを邪魔に思うほどの感情って、、チガウ。
 そうならないように、不満を先に解消しておくなど先手で対策しておくべきよ、そして自分の時間を作るのよ・・・!
 私にはそこが足りてないのはわかってる。

 もちろん、そこを上手に過ごしていけるママも多いんだけれど、私はチガウということね。

〜したい〜 自分のココロはどこにあるか?

 昨日作った豆腐の焼きドーナツを、
 今日は生地を同じままに型を変えてカップ型にし、一本残っていた熟したバナナをトッピングして焼いた。
 あぁ美味しい。
 まだ食べたい。もっと食べたい。また作ってねの声。
 私はおやつを作って食べるのが好きだ。
 作る時間がなくて、それに代わるものを探してスーパーで買うより、ずっといい。もちろん、買いたい時は買うよ。

 まだね、ずっとアイデアを温めてて
 作りたいお菓子があるのよ、、、

 私にとっておやつは「作らねばならない」ではなくて「作りたい」なのだ。

〜したい〜という気持ち

「ねば・べき」ではない、
ただ「したい」という気持ちを素直に教えてくれたのは
きっとネルドリップや、鼻笛だったんだと思う。
自分に素直になって、進みたい。

母である私自身が、ずっと〜ねば・べき〜だったら
こどもが〜したい〜で動いている時に
嫌な感情を持つんじゃないかな。

〜したい〜で生きる

自分がねば・べきに生きていたら、
きっと相手にも、ねば・べきを求めてしまう。

長男に対して、妙にこの感情が働いてしまい、
何なら子供達全員に働いてしまい、問題が起きていた。
私が変わりたいと思っていたところはここだ。

ここを大切にしていけたら
こどもの「したい」に寄り添えたり
できないことに注目したり
迫ったりしなくなるんじゃないかなぁ。

同調もまた、ねば・べきに似たものを感じるし
その先には、日本の世の中から、いじめもなくなるのかも!


気づくということ

愚痴のように始まった回ですが、
活動の所属が間違ってたということではなくて、
必ずそこには、そこでの体験には、意味があるんだと思う。
だから
自分にダメ出ししたり、絶望するのではなくて。
(ここまでの数時間、めっちゃしたけど)
ちょっと静かに振り返ってみました^^
はてさて、私はどこへいくんでしょう。沸き立つままに、風ふくままに。
よし、エンジンかかったよー!

画像のご紹介

ネバネバ・ベキベキ を表現するにあたって、「納豆」が浮かびました。
納豆画像が沢山ありましたが、これ!
アクロバティックで最高に納豆と向き合ってる猫さんのイラストをお借りしました。 syudynoteさん、ありがとうございました★最高!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?