百五十万文字の小説を書き終えて


 お久しぶりです。片山順一です。

 2021年七月、タイトル通り百五十万文字を超えた拙作『銃と魔法と断罪者』を、カクヨムにて書き終えました。

 形式は一話ごとの連載。文字数の少ない章ごとの予告も含めて、423話あります。

 毎日更新を目指したり、隔日更新をしたり、週一更新をしたり、エタったり(『エタる』とは、インターネットで連載している小説が更新を停止したままになることを指すスラングです。小説家になろうでは、一般的な言葉かも)しながら、あしかけ五年です。

こんなに長い物語を書けると思っていなかった

 私は2021年の八月で三十六歳になります。
 小説らしきものを書き始めたのは、十四歳くらいからでしたので、もう二十二年は書き続けていることになります。二十代からは、ライトノベル新人賞の投稿も何度か行いましたが、一次選考突破が関の山。そのまま二十代が終わり、世に出ないまま、今、三十代半ばを過ぎようとしています。

 百五十万文字というのは、四百字詰め原稿用紙で三千七百五十枚。一般的な文庫本なら、大体、十冊くらいになるでしょうか。

 多くのライトノベル新人賞作家は、それだけの長さのシリーズを出すことができません。鳴り物入りでデビューしても、一冊目の売り上げが悪ければ、数冊で打ち切り。その後の新シリーズも出るがどうか微妙……というのが、商業作家の残酷な運命です。これは、ネット発の作品が増える前からのことです。

 しかし、新人賞に通っていない私は、百五十万文字、約十冊に及ぶシリーズを完結することができたのです。皮肉な気がします。


勝手に書いていることの意義

 私は小説を勝手に書いています。その後ろに背負ったものはありません。私の時間、人生というものは費やされているのですが、独身でろくな収入もなく、とりあえず生きている人間の生など、吹けば飛ぶようなものですから。

 だからこそ、私はこの小説に時間と労力をかけることができました。そして、時間と労力をつぎ込んだから、完結できたわけです。

 さきほどの私の意見(プロは売れないと長く書けない)に対しては、お前みたいに人生自爆テロ上等のアマチュアなら誰だって書けるわという反論があるかもしれません。

 まあ、その通りです。
 それだけのことです。

 それだけのことくらい、誇らせてくれたっていいじゃないですか。

 ――すいません。

メリットは何か?

 達成感がありましたね。仮にも長い物語が終わったわけですから。

 第一話のアップロードは2016年。とくに最終章を書いていた今年(2021年)は、漫画ですが『ベルセルク』が作者のご逝去により未完に終わったり、『進撃の巨人』が完結したりと、物語がきちんと終わるか終わらないかということについて、個人的に考えさせられることがありました。

 コロナのこともあったし、もし自分が死んだらこの話は完結しないまま終わってしまうんだな、ということも何度か考えたのを覚えています。読んでいただいている方、フォローしていただいた方に申し訳がないとも思いました。

 天才としか呼びようのない才能をもっていながら、完結までたどり着けないプロが居る一方で、私のようなアマチュアがある程度の長さの物語を完結できるとは。

 『銃と魔法と断罪者』という作品は、最初に目標と戦うべき相手を明示してありました。そいつらと主人公たちの決着をつけることができて、展開的にも満足です。

寂しさ

 一方で、完結した今、もう作品について考えなくていいという寂しさがあります。

 この五年間というもの。私は本作と並行して、何作か新人賞に投稿する作品を書き上げました。むろんそのたび、一生懸命作品について考えました。
一方で、飛び飛びながら連載してきた銃と魔法と断罪者についても、キャラクターや展開について数えきれないほど考え詰めました。

 先の展開が思いつかなかったことは、一度や二度ではなかったように思います。面白そうだからと書いてみた展開を、次の更新でどう収拾しようか困っていらいらしたこともありました。更新日が迫って、えいやっと書いてみたら、意外と収拾がついて、これでいいじゃないかと思えたり。

 ときには自分の文章を読み返し、キャラクターたちに独り言で呼びかけたこともあります。それで、だんだんそのキャラクターのことが自分の中で固まって、先の展開が思い浮かんだりとか。

 こういうことを、もうやらなくていいんですね。銃と魔法と断罪者について。

 楽になったと思う反面、月並みですが、心の端に穴が開いたかのようです。更新日が迫っても、書かなくていいんですから。彼らのことを考える必要がないのですから。

いい思い出が一番の収穫

 書きながら思い出されてきました。

 感想をもらって返信を考えたり。主人公たちだけじゃなく、悪役たちのこれまでの人生や、作中情勢に翻弄される一般の住人たちについても考えたり。この世のどこにも存在しない場所、時代、人物たちのことに、我ながらよくこれほど入り込んでいたものです。

 今気が付きましたが、私は自分の作品を通じて、数えきれないほど思い出を作ってきたんですね。

 私の人生は、客観的にいってそんなに恵まれたものではないかもしれません。とりわけこの五年は、そんな私が三十路を過ぎてその半ばを終えるまでです。
 独身で、恋人もこれといった打ち込める仕事もない男にとっては、人生に大きな変化がなく、ただ年を取って醜くなり、見通しの立たない現実に打ちのめされるだけの月日、ともいえるのではないでしょうか。

 そんな中、私にとってこの連載は希望でした。作中のあらゆる登場人物、作中世界の情勢や変化について考え想像する時間は、なによりも私自身を救ってくれました。

 もっと言うならば、仕事がなく稼ぎが少なく、恋愛経験のない私と同じような独身男性たちの中で、私は幸福だったと言えるでしょう。


 今、私は古い友人と共に、次の連載作品の構想をしています。連載第一話の目標は、今年八月の初旬です。

 生きている限り、前に進みたいと思ったのはいつのことだったか。
 書き続けている限りは、それができそうで、年甲斐もなくわくわくしています。

 流行りも狙っていきましょう。どんな世界、どんな人に出会えるのか。とても楽しみです。

 願わくば、私のとぼとぼとした道行に、読者としてお付き合いいただける方が現れることを祈っています。

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