同じ映画を27回見るモチベーション

 こんにちは。片山順一です。今回は、モチベーションに関わる話です。

どこからモチベーションは来るか

 嘘か本当かは確かめられませんけど。

 妹の仕事の知りあいの若い女の人がいます。

 この人が、『君の名は』を27回見たらしいです。

 ええ、天気の子の前作、アニメの方ですね。
 劇場でやっていた当時なので、映画館で観たみたいなんですよね。

 もちろん劇場で早送りはできません。二十七回見たら、五十時間か六十時間くらいになるでしょうか。ゲームのプレイ時間と考えれば大したことはないのですが、同じ作品を二十七回鑑賞し続けると考えると凄まじい根気と決断です。

 私も実際に劇場に足を運んでみました。いい作品だと思いましたし、だからこそ前述した天気の子だって劇場に見に行ったんですね。

 あの繊細な絵、RADWIMPSの感情を刺激し続ける音楽。神木龍之介と上白石萌音の切実で心地よい演技と声。何周かできる作品だとは思います。

 しかし、それにしたって、私ならやれと言われても十回くらいしかできないでしょう。しかも一回ずつ安くない鑑賞料金を払って、ですからね。まあお金は所得さえあればどうにかなるんですが。時間や労力を考えるとちょっと辛いです。

 ただ、見た人が若い女性、というか若者だったらしいので、少し分かりました。

 若者には驚異的なほどのバイタリティがあるからです。

 若いということ

 私自身を振り返ってみても、高校生の頃は朝七時から受験対策の早朝補習を受け、その後授業、放課後はプールで夜七時前まで部活動。帰宅して食事の後、塾へ。十時半に再び帰宅、その後小説を書きながら深夜アニメを見て午前二時ごろに就寝し、学校へ。というようなスケジュールを体調ひとつ崩さず数年間こなしていたわけです。無論、鼻もちならないプライドはありますが、精神だって健全なままに、です。

 この程度の生活なら、べつに年齢が高くてもこなしている人はいるかもしれませんけどね。

 ただ、私の後輩は、熱狂的なファンだったLarc en cielというバンドの同じシングルCDを買ったその日に、20時間ほど聞き続けていたと言っていました。気が付いたら泣いていたと。それほどに好きでしょうがなかったのでしょう。

 フィクションになりますが、けいおん!というアニメのヒロイン(女子高生)は、ギターを初めて弾いてはまった日に、とにかくギターが弾きたくて徹夜でギターを弾きつづけ、次の日急に経験者が驚くほどの腕前になっていた、というエピソードもありました。

 ライトノベルなら、『さくら荘のペットな彼女』のヒロインも、毎日毎日、体の限界までひたすら漫画を描き続けていましたっけ。文字どおり寝食を忘れるというか、体が限界になって倒れるまでひたすら漫画を描いているんですね。だから主人公が世話をしなければならない、という作品だったような。

 かように、若い人というのは凄まじい力があるようなのです。モチベーションというのか。

 もちろん、建設的な例でないのもあります。ある知りあいは漫画で学んだマージャンのイカサマをどうしても実際に試したいと思い立ちました。ばれないようにイカサマができるまで、雀荘に通ってお金を賭け、つわもの達と戦いを繰り返したそうです。当時高校生だったといいます。

 ほかには、筒井康隆という作家は、こちらも高校生のころ、どうしても映画が見たくて家のお金を盗んで見に行き、見つかってさんざん殴られて怒られました。しかし、その後もまた盗んで見に行っていたそうです。それほど映画が素晴らしいと思ったし、どうしたって見たいと考えたのでしょう。当時映画はとても高級な娯楽で、親のお金でも盗まなければそうそう見に行けなかったそうです。映画鑑賞の経験が生きたのか、後に、彼は有名な作家になっていますが。

ひるがえって

 で、35歳の私です。
 なるほど、趣味の特撮を見れば、感動して涙を流すことはあります。
 執筆中に、自動筆記と言うか指が勝手に動いている気がするときもあります。

 では、上記のように小説や作品にのめり込めるか、というと無理らしいです。情熱がないとか、以前書いたような気がしますが、ずばりその通りなんですよね。ぐだぐだと執筆と向かい合い、ちょっとずつ書けたかなあ、くらいで。

 確かに、やってみてよかったなあ、と思うこともあります。
 いいなと思うものや、ことも、あります。

 だけど、二十四時間頭が覆い尽くされて、そのことしか考えられない、なんてことはほとんどありません。近いのは性的なことぐらいでしょうか。

 性的なこと。バイタリティの高い若いころ、私はネットでのエロ関係の探索にずいぶんと費やしてしまったような気がします。たったひとりきりで、あちこちのサイトを渡り歩き、それらしいものをずっと捜して。

 誰とも話さず、なにも得ず。ただただ。えんえんと。

 若いころのモチベーションを、なんでもいいから公に誇れるものに精一杯費やしたのなら、そのお釣りというか、残りみたいなものが得られるんですけどね。父親に殴られてでも見に行った素晴らしい映画は、筒井康隆に強い影響を与えたでしょうし。

 一方、私にはねじ曲がった性嗜好と、時間の無駄をしたという絶望、そして女性をすぐに性的な眼で見るという不要な悪癖が、べっとり残りました。

 吸いとられたものも、費やした時間も、二度と戻りません。

 これから、何かをするにあたって、私はどうすればいいのでしょう。

モチベーションより必要なこと

 メンタリストDaigoが言っているように、習慣をつけることが大事なのかもしれません。凄まじいメンタリティで書いても、ぼんやりと書いても、目の前には書き終わった小説が同じように積み上がります。

 老子という昔の人が、やろうと思ってなにかやることは、ただ無理をしてるだけなので、続かないといった趣旨のことを言っていたようです。

 まず何か行動したいと思って、その後行動に移すというのが普通に思えます。

 でも本当に続くのは、何かやりたいとか、やりたくないとかではなく、ただ気が付いたらやっていることらしいんです。無為自然というらしいんですけど。

 無為自然の結果が、こうしてNoteを書くことだったり、新人賞への小説を書くことだったりすれば、それは多分続くわけで。

 ついでに言うなら、仮に作家になれた場合も、とくに浮つきもへこんだりもせず、ただ企画を出して当たったら書き続けるみたいなことが安定してできなければならないでしょう。売れようが売れまいが、ただ続けられる人が結局残っているようにも思います。

 健康に関しては、ある程度気を使ってるわけですし。

 ただこの場合、問題は、何を書いても砂を噛んでるみたいになってしまうことですかね。

 絶対に嫌だ俺に書かすなぶっ殺すぞ、みたい作品以外は、もうなんでもいい気がします。誰がヒロインで誰が主人公で誰が死んでも殺してても殺されてても。

 ……けど、そんな奴の作品って、面白いんでしょうかね。

 書けるからただ書いた、というだけの本を、お金を盗んで買ってくれたり、二十七回読んでくれたりする人は居ないような気がします。

 仮に現れたら、なんだか騙してしまったような気がするんです。
 まあ、いいフィクションはうまく読者をだませるものなのですが。

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