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わたしとわたしの幸福論

『自分で自分に安心したいのに、それに気が付けたのに、なんかいつも足りてないんだよね』

『大丈夫、ってごまかすようにじゃなくて、ほんとに心から胸張って言えたら、さ、きっととても、素敵だよね』

『なんていうかこう、自信を持つための根拠を自分で作れたらいいね』


ぽつんぽつん、つぶやいて。ふっとnoteに書き残して足したくなったので、いまこうして言葉を繋げている。

なんだか今日なら色々素直に書けるような気がしている。深呼吸して、考えすぎないくらいで。まっすぐに、こころを、言葉に。

自分のことを、今よりちゃんと愛したい。
今もそれなりになんとなく自分のことをすきではいるけれど、もっと根拠のある自信がそこにあればいいなって思う。

なんとなくすき、とか。
なんだかにくめない、とか。
そういう感覚ももちろん大切だけれど、それだけじゃやっぱり、くるしい。わたしのことも、なにかのことも、だれかのことも。安心してすこやかに、根本から愛せたら良いよね。

なんとなくじゃなくて、理由がほしい。
できればいくつも。何個でも。何十個でも。
わたしがわたしをすきということの理由がほしい。
──こういうところがすき。こういうときこんなふうに言えるところも、ああいうことができるところもすき。そういうわたしがすき。
そんな風に、できるかぎりたくさんの理由を、根拠を、自信を、きっとわたしはわたしに与えてもらいたい。だからわたしはわたしにそれらを与えるべきで。

たとえば、少しずつでもお金を貯めてみるとか。ちょっと運動をしてみちゃうとか。部屋の片付けを頑張るとか。おいしいごはんをつくるとか。
そういう、生活のなかのちいさな「できた!」をもっと増やしたい。そして、(なんだ、できるんじゃん)って、見直したい。


なんとなくってくらいのすきで、ギリギリつないでいる、わたしからわたしへの好感度を、どんどんあげて。
わたしは、わたしから惚れ直してもらいたい。
わたしは、わたしに惚れ直したい。



きっとそれは「できない」「無理」ってことでは全然なくて。だからこそ、「明日から」「また今度」って後まわしにもしやすいことだと思う。

実際そうやって、わたしはいまこの時まで、わたしへの愛情表現をおこたってきた。
さびしくて不安になる気持ちがここしばらく強かったのは、となりにだれかがいないこともあったかもしれない。
でもきっと、それ以前にわたし自身の、わたしひとりの問題だった。
わたしひとりで、なんとかできる問題だった。

じゃあもう、やるしかないよね。

安心してもらおう。きちんと、証明しよう。わたしは、わたしをすきでいいってことを。わたしなりの方法で。

大丈夫、大丈夫、って、おまじないみたいに、安定剤代わりに自分へ言い聞かせるのではなく。
「大丈夫!」って、はっきり笑顔で言い切れたらいいなって。ひたすらに、そう思うんだ。


「大丈夫!わたしはわたしとして生まれて、生きて、とてもよかった!」

なんて、そう言えたらなんて素敵だろう。
なんて、しあわせなことだろう。


わたしより。わたしへ。
ひとつの宣誓をちいさく、たしかにここにのこします。

かならず。しあわせにしてみせるよ。
もっと自信たっぷりに、すきになってもらえるように、ちゃんとやるよ。やれること。
「わたし、大丈夫だ!」って、笑えるように。
わたしがわたしを、胸張って生きられるように。わたしはわたしを、生きていくからね。


時の流れと空の色に何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君のそのままを愛している故に
あたしは君のメロディーやその哲学や言葉
全てを守り通します
君が其処に生きているという真実だけで
幸福なのです
幸福論/椎名林檎

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