三番目は、エマ…。

息絶えたかに見えた野獣が光に包まれ、宙に浮き上がった。物語もクライマックスだ。暗転。美しい王子の姿が、もうすぐスクリーンに浮かび上がる…………

長い…。こんな長いか、暗転……まだやってっけど。音楽すっげえ盛り上がってっけど。

ついに野獣の家来たちが人間に戻る音まで聞こえ出し、完全に演出じゃないことが判明したところで音声オフ、照明オン。死にそうな顔で入ってきたTOHOシネマズの職員さんに謝罪された。落雷じゃあしょうがない。なんなら、夢と魔法の世界が神のいかずち一発でかき消されたことに、不思議な爽快感すら覚えた。さて、復旧はいつになるのか。

周りがトイレに立ったりする間、次に観る映画の上映時刻に間に合うのか心配しつつも、「美女と野獣」について考えざるを得ない。アニメ版から20年以上経った今、こうして実写版を観て気づいたが、どうも自分はこの物語と相性が悪い。

今回の実写版では、王子が野獣に変わる場面が冒頭にはっきり描かれる。美女たちとのパーティーに汚い老婆がやってきて、冷たくあしらったら美しい魔法使いに変貌、呪い発動。城下町の住民は城の記憶を奪われ、野獣になった王子は城の調度品に姿を変えられた家来たちと閉ざされた城で暮らすハメに、ってな流れ。

で、そこに迷い込んでくる主人公のベル。美貌と知性を持ち合わせ過ぎて、田舎町で浮く女性。エマ・ワトソンがまあ美しく、聡明そうなこと。その成長自体に感動してしまう。ああ、エマ…。お前はエマ・ワトソンの何なんだ。お父さんなのか。

そして、エマ・ワトソンが美しければ美しいほど気になる。なんでベルは「美女」なのか。ベルはその容姿を乗り越えて野獣に、野獣は久々に出会った女性、すっげえ美女、っていうかエマ・ワトソンに惚れる。これアンバランスじゃないか?いや、もちろんベルの容姿だけに惚れたんじゃないだろう。でも、少なくとも冒頭の王子なら侮ってしまうような一見冴えない人物じゃないと、どうも焦点がぶれる。

無事、映写機が復旧して、野獣はイケメン王子に戻り、一件落着。子供の頃には「わ~い、ロウソクとか食器がおどってるぅ~」なんつって鼻くそ食べながら観てた家来たちの歌のシーンに意外と感動したり、改めて観たからこそ感じたこともあったけど、「『美女と野獣』はなぜ『美女』なのか」っていう身も蓋もない、元も子もない疑問が結局は一番強く残ってしまった。二番目は「雷すげえ」だ。ちなみに、次の映画には余裕で間に合った。やっぱ他のスクリーンも止まってたから。雷すげえ。

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桂一朗

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