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極私的読書ノート

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偏らないように読んでいるつもりがやっぱり偏ってますね。 理解と感想を入り混じらせて、新たなヒントや読もう!という気持ちを導き出せていればいいな。基本姿勢は感想より原文重視です。
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記事一覧

読書ノート 「純粋な自然の贈与」 中沢新一

 米国に渡ったピューリタンたちは、インディアンの風習「インディアン・ギフト」がとても奇異に映った。インディアンたちはたくさんの贈り物を交換し合い、もらったら必ずお返しをしなければ気の済まない人たちであった。ところが、インディアンの方では、ピューリタンのその倹約家ぶりが、信じられないほど異様なことに思えた。ピューリタンに高価なタバコのパイプを贈り物として渡し、そのピューリタンの行政官はありがたく持ち帰る。数カ月後、インディアンがその行政官のオフィスを訪問したら、その居間の暖炉に

読書ノート 「贈与論 他二編」 マルセル・モース 森山工訳

 「取るのと同じように与えなさい、そうすれば万事うまく運ぶでしょう」 (マオリの諺)  「(ポトラッチをおこなう社会においては)首長と配下のあいだに、そして配下とさらにその取り巻きのあいだに、こうした贈与によってヒエラルキーが確立されるからである。与えるということ、それは自らの優位を表明することである。それは、より大きくあることであり、より高くあることであり、主人(マギステル)であることである。これに対して、受け取っても受け取った以上のものを返さないということは、従属

読書ノート 「アーレント政治思想集成 2 理解と政治」 アーレント 齋藤純一他訳

 フラグメントを置く。  「最も尊敬する方」  「(ヤスパースについて)個人的に決して忘れられないのは、何とも名状しがたい、人の話に耳を傾けるあなたの物腰、批判を提起する用意は常にあるけれども狂信からも懐疑主義からも等しくかけ離れた寛容、そして最後に何よりも、すべての人間は個性を持っているがいかなる人間の理性も無謬ではないことに気づかれていたこと、こうしたことです」  率直に振る舞う人間、底意のない人間  自らの生存に対して正当な理由付けを与えるという何とも非人間的な

読書ノート 「カイエ・ソバージュ」 中沢新一

 もともとは、講談社新書メチエで五冊に分かれて刊行されたもの。大学の講義をテーマ別にまとめ、中沢新一の当時の思想最前線を概観するものでした。五冊中、三冊を購入した(はず)。第一刊(『人類最古の哲学』)、第三刊(『愛と経済のロゴス』)、第五刊(『対称性人類学』)。また購入には至らなかった残りの二刊(『熊から王へ』、『神の発明』)も、読んだ記憶がある。でもどうして読んだんだろう。立ち読み?  二〇数年前、札幌にいた時、北大附属病院に喉の疾患で入院していた頃、『対称性人類学』を精

読書ノート 「レンマ学」① 中沢新一

 近年の最重要書物のひとつと確信している『レンマ学』。思いつくまま取り出していく。すでに私の血となり肉となる部分もあるが、まだまだ、そんなに甘いものではない。ゆっくりいきましょ。 目次 序 第1章  レンマ学の礎石を置く      レンマ学の発端/源泉としての南方熊楠書簡/大乗仏教に希望あり      生命の中のレンマ的知性 第二章  縁起の論理      大乗仏教と縁起思想/プラジュニャーと縁起/レンマ的論理      空論から縁起へ/レンマ学は否定神学ではない 第三章 

読書ノート 「世界をわからないものに育てること  文学・思想論集」  加藤典洋

 2016年の作品。  この三年後に加藤は肺炎のためこの世を去る。  幾つかの章について、個人的感想を述べる。 『「理論」と「構築」──文学理論と「可能空間」』…  面白いかなあと思って読んでみたが、テクスト論と学校の先生方の内向き理論の話が噛み合わず、そもそもこれはどういった立ち位置の話なのかという疑問が湧き、読めません。「ナンデモアリ」の価値相対論、〈第三項〉の理論と、好みのキーワードではあるが、ううん、なんか違う、経緯ばかりの説明で、それも大事なのだろうが、本論がな

読書ノート 「クララとお日さま」 カズオ・イシグロ 土屋政雄訳

 これはエスエフです。子供の成長を手助けするAF(人口親友)として開発されたロボット・クララのおはなし。ノーベル文学賞受賞第一作。  雇い主の少女ジェシーは何の病気なのだろう。姉のサリーの病気はジェシーとなにか関係があるのだろうか(あります)…と、読み出すと疑問符が頻出する。  「性格が変わる」ことは人間にとっては普通のことだが、クララには学習しなければならないことなのだ。ジェシーの母親が言う「懐かしがらなくてすむって、きっとすばらしいことだと思う。何かに戻りたいなんて思

読書ノート 「アーレント 政治思想集成1」ハンナ・アーレント 齋藤純一他訳

 副題は「組織的な罪と普遍的な責任」。 「禍福は自ら求むもの」とシニカルに呟くアーレント。    フラグメントを置く。  アウグスティヌスの『告白』には「わたしだけの神」を希求する欲望が見える。 「公共領域への冒険の意味するところは、私にははっきりしています。一つの人格を持った存在者として、公共的な領域の光に自分の姿を晒すことです」  カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』  セーレン・キルケゴールは、「ロマン主義が当たり障りのない奔放さによってため込んだ負

読書ノート 「〈世界史〉の哲学2 中世編」 大沢真幸

 トマス・アクィナスは、神の存在を証明しようとした。神は経験的な世界から絶対的に断絶(超越)していなくてはならない。そこで「存在の類比」というアイディアを編み出した。それは、「神の存在」は「リンゴの存在」と同じ意味ではないが、後者からの類推、後者のあり方をもとにした隠喩によって語ることができる、とする考え方。  しかし、「存在の類比」はやはり曖昧なアイディアであると言わざるをえない。  この曖昧さに断固として拒否を示したのが、トマスより半世紀弱ほど後に生まれた、中世哲学のも

読書ノート 「エクリチュールの零度」 ロラン・バルト 森本和夫・林好雄訳 

 心身とも疲れているなか、癒しのひとつとして、この著作の訳注を書き記す。復活の契機になるんだなあこれが。 【エクリチュール】 書く(エクリール)という動詞に対する名詞で、一般的には、書かれたもの(文字)、書き方(書法)、書くという行為を意味する。ソシュールにおいては、言語体(ラング)を表記する記号体系。  バルトはこの著作では、文学的現実を解読する新たな概念装置としてこの語を用いている。すなわち、同時代作家に共通する規則や監修の集合体である言語体(ラング)と、著作家の身体

読書ノート 「一冊でわかる プラトン」 ジュリア・アナス 大草輝政訳

 「本書は、対話篇という形式がもつ意味を丁寧に解きほぐし、プラトンの著作を読むさいの注意点をわかりやすく示す」とされる。  ジュリア・アナスはアリゾナ大学古典哲学教授。解説の中畑正志がアナスのことを「彼女」と読んでいるので女性であろう。  『ソクラテスの弁明』を皮切りに、我々はプラトンの著作を読み進めるとき、至極素朴な疑問にぶつかる。それは「何故、プラトンは対話という形式を取り続けるのだろう」ということだ。思想を説明するならもっと効果的な形式があるのだが、プラトンは一貫と

読書ノート 「赦しへの四つの道」 アーシュラ・K・ル・グイン 小野芙佐他訳

 巨匠ル・グインの最新翻訳著作。四つの短編は、『闇の左手』『所有せざるもの』などの宇宙年代記に属する物語。この世界は人種差別・奴隷制、性差別が存在する世界。その中で人々が苦悩しながら生きていく。と書くとシリアスな内容かと思いきや、どちらかと言うとファンタジーの語りなのでさらっと読み飛ばすかもしれない。ここでは、少し趣を変え、「セクシャルな表現」を集めてみる。というのも、そうした表現がさらっとうまくできないかと考えているからなのだ。「セクシャルな表現」次第で、その物語がきれいに

読書ノート 「木のぼり男爵」 イタロ・カルヴィーノ 米川良夫訳

 イタロ・カルヴィーノ『われわれの祖先』三部作の一冊。『まっぷたつの子爵』(1952年)、『不在の騎士』(1960年)の間である1957年に刊行された。主人公のコジモ・ピオヴィスコ・ディ・ロンドーは叔父の持ってきたカタツムリ料理を固辞し、樫の木に登って食事を強制されることに異議申し立てをする。父は「疲れて気の変わるまで、そうしていなさい!」と言い放ったのに対し、「気はけっして変えません!」と返し、さらに「おりる時は、覚悟をしておきなさい!」と畳み掛けたのに対し、「じゃあ、ぼく

読書ノート 『変容の象徴』 C・G・ユング 野村美紀子訳 

 解説のユング派分析家である秋山さと子はこう言う。  「かつて私は、本書を前にして呆然と立ちすくんでしまったことがある。スイスのチューリッヒでユング心理学を学びはじめた頃、なんとかして本書にとりつこうと、毎日のようにチューリッヒ湖を見下ろす景色の良い庭に出てメージを繰ってみるのだが、何回目を通しても、なじみの少ない世界各地の神々や英雄の名が次々にあらわれるだけで、その背景にある意味がつかめずに、ただ本を抱えたままあたりの風景を眺めているだけの時も多かった。それにもかかわらず、