見出し画像

読書ノート 「未来倫理」 戸谷洋志

 ハンス・ヨナスの哲学に端を持つ「未来倫理」についての戸谷洋志の考察。「現代社会は未来世代に対して倫理的な責任があるのならば、この責任をどのように考え、そのように実践したらよいのか」を考えるヒントにする。

 戸谷は具体的に未来に対して責任を持たなければならない事象を三つ提示する。すなわち、
①気候変動
②放射性廃棄物処理
③ゲノム編集、である。


 放射性廃棄物処理について語ろう。
 これは、ゲノム編集とともに100パーセント人間側に、一義的な責任がある。技術によって結果として生み出される負債について、想像力を働かせ、その影響の遠大性について意識することを著者は求める。

 ウランやプルトニウムなどの高レベル放射能廃棄物から出る放射線量が自然環境に対して無害レベルにまで低下するのに凡そ10万年の歳月がかかり、その間、人間社会のほうが継続できない(人間の歴史で、10万年継続している意志・約束事があるだろうか)のは明白であり、その害悪を未来に持ち越さないような処置が必要である。しかしそのためにどのような方法が適切か、完璧か、よく考えなければならない。海底深くに沈めても、地殻変動で漏洩することはたやすく想像でき、陸地の岩盤の硬い地域で埋葬しようと考えても、いまだにその最終処分地の決定・選択には世界の何処も手を挙げない。国の専制的決定で処分地が決定され、その地域の歩調や環境整備がなされたとしても、10万年である。それを成した国家のほうが先になくなり、変貌してしまうであろう。放射性廃棄物の管理は、国家レベルでは無理であり、もしそれをきちんと完遂するのであれば、国家を超えた、世界人類の上位意志=神のレベルの話になる。遠い未来に、遠い過去から厳格に定められた決まり=ルールを遵守させるには、神聖なる力(宗教的な)に頼らざるを得ないのではないだろうか、などと想像する。

 NHKで山下惣一の番組を見た。その中で山下は、「土から人は離れてはならない、土が人を形作る」そして「大地を作るのは、未来の子どもたちの暮らしを考えてのこと、未来への責任なのだ」といった趣旨の発言をしていた。これもポジティブな未来倫理の顕現である。

 そもそも、未来を考えて生きていたはずの人類が、既に犯してはならない過ちを犯してしまったということなのだ。反省すべきはわれわれの側にある。しかし、もし地球精神というものがあるなら、「彼」はなんとも思っていないだろうが。


 予測の困難さ(シュミレーションは不完全に終わる)、想像力の限界(そもそも制約の内にある)、を超えながら、人間は対話と想像力によって未来を用心深く探らなければならない。その手法として、まだまだ改善の余地がありそうだが、著者は、①スペキュラティブデザイン、②フューチャーデザイン、③SFプロトタイピングの三つを挙げる。

 ①と②は、ワークショップに導入される。「未来はどのようなものか」「自分を未来人と仮定してどう発言・行動するか」という視点から思考するということかと捉えた。③は、製品(ガジェット)、キャラクター、変容していくプロットから考える、というもの。エンジニアやデザイナー、作家の思考に拠るところが大きいとされる。


 著者の戸谷は言う。
「未来倫理は不思議な分野である。それは、とてつもなく壮大な話でありながら、とてつもなく身近な問題でもある。私たちに対して、ほとんどSFのような想像力を要求しながら、しかし日常におけるさまざまな判断と結びついている。…『当たり前』を問い直す思考が、未来倫理には必要なのである」

よろしければサポートお願いいたします!更に質の高い内容をアップできるよう精進いたします!