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読書ノート 「100分DE名著 カール・マルクス 資本論」 齋藤幸平

 資本論の第一巻が刊行されたのは、一八六七年。私が生まれる丁度百年前だ。マルクスは資本論で新たな社会構造である資本主義を徹底的に解析・批判し、乗り越えようとした。それは共産主義革命を生み、ソヴィエトと中国の新たな国家を生み出したが、ソヴィエトの崩壊を期に弱体化し、現在は顧みられなくなっていた。しかし、グローバル経済圏が生み出す格差と気候変動がもたらす生存への危機が、現在隆盛を極めている資本主義を見直す機運を高め、死に体であったマルクスを蘇らせようとしている。

 共産主義の源泉であろう「アソシエーション」に着目するのは筆者の齋藤氏だけでなく、柄谷行人高橋源一郎、今はもういない井上ひさしなど、日本の人文学系の巨人もこのアイディアからもう一度、新しいものを取り出そうとしている(していた)。この本はその運動をわかりやすく、もう一度最初から考え直すことを目指している。

 資本主義の暴走はいつから始まったのだろうか。一九九〇年代?無限の経済成長というおとぎ話を信じていた時代。今の若い世代でそれを信仰しているものはほとんどいないだろう。そのなかで、若い人たちはこれからをどう考えるのだろう。明らかになっているのは「新しい社会システム」を見つけなければいけないということだ。それは修正資本主義なのか、アソシエーションを基本とした循環型社会なのかは、まだわからない。
 
 この本では、いままで必ずしも重視されてこなかった「資本主義の暴力性」に着目し、労働の分析、余剰価値の分析と、イノベーションや生産性の向上がなぜ労働者を貧しくし、どうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)が増えるのかを考察する。そして資本主義が自然破壊を止められない理由と、ポスト資本主義社会の可能性を展望する。


  • 自然との物質代謝は、人間の生活にとって「永遠の自然的条件」だ

  • それは、人間だけが、明確な目的をもった、意識的な「労働」を介して自然との物質代謝を行っている。

  • マルクスは、人間の意識的かつ合目的な活動である労働が資本主義のもとでどのように営まれているかを考察することで、人間と自然の関係がどう変わったかを明らかにし、そこから資本主義社会の歴史的特殊性に迫ろうとした。

  • 労働とは生産活動。労働は「商品」を生み出す、

  • 資本論は「富」から始まる。

  • 社会の「富」が、資本主義社会では次々と「商品」に姿を変えてく。水がミネラルウオーターとして商品になる。昔、資本主義社会以前は、社会の富が「商品の巨大な集まり」として現れることは決してなかった。

  • かつては誰もがアクセスできるコモン(共有財産)だった「富」が、資本によって独占され、貨幣を介した交換の対象、「商品」になる。

  • 資本主義は、人工的に希少性を生み出すシステム。

  • 「商品」にするには「労働」が必要。この労働を担ってくれるのが、資本の囲い込みによって森から追放された小作人。彼らは農地を追われ、仕事を求めて都市になだれ込み、工場労働の担い手となった。

  • そして「商品」生産の担い手は、自らの労働力を提供するだけでなく、「商品」の買い手となって、資本家に市場を提供した。

「おまえ、ここから出ていけ。お前のものはオレが貰う。そしてオレのために働け、二重にも三重にも、搾り取れる仕組みをオレは考えた。内緒だけどな。けけけ。何世代もあとに、おまえらの幸せ、喜び、肉体、価値あるもの、おまえらのすべては、みんなオレの餌になるのさ」

というような、資本家の声が聞こえてくる。中世イギリスのどこかで、きっと無意識にそう考えた輩がいたのだろう。なんと卑しく、汚く、下劣で浅ましい、意地悪なこころなのだろう。

「オレには目先の利益が必要なんだ。それを止めることはできない。止まらない。一番楽で効率よく、オレは儲けたい。できればまったく努力はしたくないが、まったく努力をしないためにオレは最大の努力をする。面白いぜ」


  • 「使用価値」は、何らかの形で実感できるが、「価値」は人間の五感で捉えることができず、「まぼろしのような」性質。

  • モノに使われ、振り回される人間

  • この減少をマルクスは「物象化」と名付けた。

  • たとえ「使用価値」が低くても、売れさえすれば。そこで「価値」が実現される。

  • 「使用価値」はないがしろにされ、「価値」を実現する手段に貶められていく。こうした「使用価値と価値の対立」「富と商品の対立」が、人間にも自然にも破壊的な帰結をもたらす。

  • 「本書(資本論)の最終的な目的は、近代社会の経済的運動法則の暴露である。近代社会は、自然的な発展諸段階を飛び越えることも、法令で取り除くこともできない。だが、近代社会は、産みの苦しみを短縮し、緩和することはできる」

  • マルクスは、資本主義に内在する矛盾を明らかにすることで、資本主義とは別の、よりよい社会を生み出す近道を示そうとしていた。

  • 資本は、絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動(資本の一般定式)。

  • 「価値」は増大するとともに、その力を増していき、自立した主体になって、ますます人間・自然を従属させて振り回すようになっていく。

  • 資本家も、自動化された価値増殖運動の歯車でしかない。

「僕をこんな風にしたのは君の卑しい心ですが、そんなことはもう今や、僕には関係ありません。君は僕の一部でしかないし、そこから逃げる術は君が死ぬ以外にはありません。ある意味僕には欲はない。あるとするなら『増やすこころ』ぐらいでしょうか。生きる意味、があるとするなら、僕の生きる意味は『僕を未来永劫生かし続けること』ですかね。でもべつに、そうでなくてもいいんですがね」


  • 「労働力」と「労働」の違い

  • 労働者が生み出した剰余価値は、資本家のものになる。

  • 「労働力」とは労働する力。一度労働力を売ってしまえば、その間、裁量権を持っているのも、労働が生み出した剰余価値を受け取るのも資本家であって、労働者ではない。

  • 労働者が生み出したにもかかわらず、剰余価値は、資本家のもの。そんな理不尽は、資本主義のもとでは正当化される。

  • 労働者と資本家の間で等価売買されているのは、「労働力」である。

  • 資本家が」、労働者から買った「労働力」という商品を実際に使って(つまり、労働者を働かせて)初めて「労働」が発生する。「労働」が剰余価値を生み出すが、資本家は、「労働が生み出す価値」を労働者から買っているのではなく、「労働力という商品の価値」に賃金を支払っている。

  • 一度労働力を売ってしまえば、その間、裁量権を持っているのも、労働力が生み出した剰余価値を受け取るのも、資本家であって、労働者ではない。

  • 資本家が、もっと価値を増やしたい、と考えた時、一番手っ取り早いのは一日の労働時間を増やすことである。

  • 労働力は、人間が持っている能力で、本来は「富」のひとつ。資本主義はこの労働力という「富」を「商品」に閉じ込めてしまう。

  • 資本家と労働者は、労働契約を結ぶと、その瞬間から主従関係が成り立つ。どのように働くかを決めるのも、その労働が生み出す価値を手にするのも資本家。労働の現場には、自由で平等な関係は存在しない。

  • 日本はセーフティーネットが脆弱な「すべり台社会」。

  • 責任感のある労働者は、資本家にとっては都合のいいメンタリティを持ち、資本論理に自ら取り込まれていく。政治学者の白井聡はこれを「魂の包摂」と呼んでいる。マルクスはこのことを予見し、警告していた。

  • 資本家の狙いは、労働力という「富」を「商品」として閉じ込めておくこと。「商品」に閉じ込めておくというのは、自由な時間を奪うということ。

  • 資本家から「富」を取り戻すには、労働時間の短縮、制限が不可欠。

  • 「デジタル・プロレタリアート」(マルクス・ガブリエル)

  • フィンランド、週休三日、一日六時間労働を目指す。日本はまだその反対。「働かざるもの食うべからず」生活保護バッシングが行なわれる。副業が推進され、休みの日には自己啓発セミナーが賑わう。

  • 技術革新によって人間の職業が減る。労働が減る。多くの労働は無内容で無意味、つまらないものになる。然も低賃金。


  • 労働はもっと魅力的で、人生はもっと豊かであるべきではないのか。へとへとになるまでつまらない仕事をして、帰宅してからは、狭いアパートで、コンビニのうまくもないご飯をアルコールで流し込みながら、YoutubeやTwitterを見る生活はおかしいんじゃないか。


  • マルクスはこのようなやせ細った欲求や感性の状況を、「疎外」と呼んだ。

  • 資本家は、商品をより安くして、市場で勝ち残りたいと願う。

  • 生産力が上がり続けると、労働力価値の低下を招き、ひいては剰余価値(相対的剰余価値)が増え、資本家は儲かる。

  • だから資本家はイノベーションを推進し、生産力を上げたがる。更にイノベーションで生産力は労働者の「構想」と「実行」を分離する。分業化する。分業化によって、労働者を無力化し、労働者を効率的に支配し、管理する。


  • イノベーションは、資本家のためのものである。イノベーションは資本家を儲けさせ、更に労働者を支配下におくのである。


  • テイラー主義(分業とタスク管理)は、生産に関する知というコモン(共有財産)を囲い込む行為に他ならない。生産に関する知を資本が独占し、資本の都合で再構成されたシステムに、労働者を強制的に従わせる。すると、労働者の立場はどんどん弱くなり、そうなれば、労働時間も容易に延長されてしまう。

  • 資本の「ジャガノートの車輪」ジャガンナート=クリシュナ(神)の異名。

  • 部分人間、機械の付属物としての労働者。生活時間の労働時間への転化。

  • 経営者目線やAIがもたらす自由の嘘。

  • ギグワーク=構想を奪われた労働

  • 問題は、人間にしかできない、しかも社会的に重要なエッセンシャルワークが、長時間と低賃金という負荷がかけられている現実。

  • 労働における自律性を取り戻せ。

  • イノベーションに必要なのは「疎外」の克服。

  • 必要なのは、競争から距離を置くこと。自由な発想と挑戦が可能な環境に身を置くこと。

  • 日本における給食の自校性。労働の民主性。

  • 資本は、人間だけでなく、自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし、その結果、人間と自然の物質代謝に取り返しのつかない亀裂を生み出す。

  • 土壌疲弊、森林伐採、化石燃料の枯渇、コストの「外部化」、地球は有限

  • 人間と自然の物質代謝に「修復不可能な亀裂」が生じる前に、革命的変化を起こして、別の社会システムに移行しなければならない。

  • 資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能な形で制御すること。

  • アソシエートするとは、共通の目的のために自発的に結びつき、協同するという意味。


  • マルクスには、研究分野の文献を読む際、必要だと思う箇所を徹底的に抜き書きするという習慣があった。「あらゆる読んだ書物から抜粋を作る習慣を身につけた」


  • 晩年のマルクスは、ポスト資本主義社会の姿を、地球環境の持続可能性の問題とからめて構想しようとした。

  • 古典的共同体の研究。

  • 資本によって否定された労働者が資本の独占を否定して、解体し、生産手段と地球を「コモンとして」取り戻す。

  • シェアと自治管理、揺動で持続可能な定常型経済社会

  • 「各人はその能力に応じて人々に!各人にはその必要に応じて人々から!」

  • 対価を求めない贈与、助け合いの相互扶助。脱成長型経済社会。

  • カジノ誘致や万博で恩恵を受けるのはゼネコンや国際的なカジノ業者やホテル業者、地元の人にはほとんど意味がない。コモンであった種子法は廃止され、資本による種子の囲い込みが起こる。

  • ミュニシパリズム(地域自治主義)の国際ネットワーク

  • アムステルダムの挑戦。「ドーナツ経済」の導入。

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