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鼻くそが私を強くする。

将棋をはじめると、道場にいってみたくなる。
オンラインで指しまくるのも一興だが、生身の人間と盤をはさんで向かい合う対局もまた、なかなかどうして痺れるものだ。

私は、千駄ヶ谷にある「東京将棋会館」で指すことがある。
いわゆる町の道場よりはかなりハイレベルだが、ここでしか味わえない雰囲気があるから好きなのだ。
なんせ、日々プロの対局が行われるところなのだから。

ここでは、スタッフによる組み合わせのもと最初3局ほど指して、その勝敗をもとに棋力が認定される。
無論、勝ち続ければ昇級昇段できる。

同レベルの相手と対局が組まれるため、とても白熱している。
スタッフに言えば、連続して指すことも可能なのだが、もう脳が発火するんじゃないかってくらい疲弊する。
しかしそれがまた気持ちいい。

道場で指している人々の層は、二極化しているように思う。
極言すれば、こどもとおっちゃん。
とりわけ東京将棋会館では、こどもの比率が高い。
肌感だと7:3くらいだろうか。
実はこれが、東京将棋会館をおすすめする理由のひとつなのだ。

おっちゃんに負けるより、こどもに負けるほうが悔しい。
おっちゃんと負けても、さすが年の功と讃える気持ちが萌芽する。
しかし、こどもに負けると、そうはいかない。
かなりしんどい。
小学校低学年のこどもでも、有段者くらいの強者が多いのだが、そうは言っても中身はまだこども、ゆえに鼻くそをほじりながら対局してきたりする。
盤をはさんで数十センチのところで鼻くそをほじられると、心がざわざわしてくる。
さらに、その手で駒を触るのだ。
もう、たまらない。
真剣に考えるこどもの顔を見ると悪気はなさそうなのだが、鼻くそは悪である。
つまり、東京将棋会館では、鼻くそという悪に心がざわついたまま、将棋を指すことになる。
負けたときどれほどの屈辱か、想像にかたくないだろう。

しかしまあ、この鼻くそこそが人を成長させてくれると私は信じている。
往々にして、屈辱は大きければ大きいほど燃えるのだ。

それによくよく考えれば、おっさんの加齢臭を鼻先で嗅ぎながら将棋を指すより、鼻くそのほうがよっぽどいい。
こどもの鼻くそなんか、かわいいものだ。
もはや将棋そっちのけで鼻くその投げ合いでもしてやろうか。
もちろん、鼻くその投げ合いでも手加減せず全力で勝ちにいく。

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