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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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#後醍醐天皇

#0216【理念先行・現実無視の結果(建武新政の崩壊、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズ。鎌倉幕府崩壊後の後醍醐天皇による後醍醐天皇(とその側近達)のための政治は大きく綻びを見せました。 (前回:No.215【自分勝手は滅びの元(建武新政の綻び)】) 京都が遠い陸奥(東北地方)と鎌倉(関東地方)に将軍府をつくり、後醍醐天皇の息子たちがそれぞれ将軍として赴任していました。 しかし、行き当たりばったりのその場しのぎの政策ばかりを実施する京都の政権に対して各地の不満が頂点に達します。 そん

#0215【自分勝手は滅びの元(建武新政の綻び、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。 意気揚々と天皇中心の政治を志した後醍醐天皇でしたが、彼のやりたかった政治は、厳しい言い方をすれば「天皇中心」の政治というよりも、「自分のワガママを貫きたい」政治と言えると思います。 (前回:No.214【言行不一致が不信感へ(建武新政の不安定な門出)】) 行きあたりばったりの政策、寵臣・寵妃(お気に入り)たちへの過度な恩賞。好き嫌いで物事を決めてしまう点などは、完全に自己コントロールを失った

#0214【言行不一致が不信感へ(建武新政の不安定な門出、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の通史シリーズです。前回、不屈の傑物である後醍醐天皇の号令によって鎌倉幕府が滅ぼされたところまで叙述しました。 (前回:No.204【得意満面の悲願達成(後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡)】) 隠岐の島に流された後醍醐天皇でしたが、意気揚々と京の都へと舞い戻ります。 後醍醐天皇は自分が島流しされていた間に鎌倉幕府の手によって擁立された光厳天皇の即位を否定。光厳が署名した詔書や光厳が与えた官位の無効を宣言します。 さら

#0204【得意満面の悲願達成(後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズ。最初の武士による武士のための政治機構、鎌倉幕府が滅んでしまいます。 (前回:No.203【燃え広がる倒幕の火(後醍醐天皇と楠木正成)】) 1331年に元弘の乱が起きますが、首謀者である後醍醐天皇は虜囚の身となり、1332年には隠岐の島に流されます。 しかし、鎌倉幕府に対する不満は既に日本全国に充満しており、一度ついた倒幕の火が消えることはありませんでした。 悪党、不満を持つ御家人、寺社勢力が各地

#0203【燃え広がる倒幕の火(後醍醐天皇と楠木正成、 日本史通史 )】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。 鎌倉幕府を倒すことに執念を燃やす後醍醐天皇に、幕府側も堪忍袋の緒が切れました。後醍醐天皇を退位させる方向に動き始めます。 (前回:No.202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】) この動きを察知した後醍醐天皇は、逆に再度の倒幕計画を立てます。この動きに危険を感じた側近が幕府側に密告をします。 失敗する確率が高いとみて、後醍醐天皇の処遇を少しでも良くしようとしての判断

#0202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回4月には、 No.187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令)】 No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家) 】 No.189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史)】を取り上げました。 元寇という未曽有の国難を鎌倉幕府は退けることに成功しました。しかし、相手から賠償金や領土を奪ったわけではなく、日本のために戦った武士に報いる手段を鎌倉幕府は持っていませ