見出し画像

#0118【古代ローマ、半島を出る(ポエニ戦争・ヒエロン二世)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今週は紀元前の地中海を舞台にイタリアのローマと北アフリカのカルタゴが覇権を争った「ポエニ戦争」を取り上げます。「ポエニ」とはラテン語でフェニキア人のことを指す言葉です。フェニキア人はカルタゴを拠点に地中海貿易を担った一大勢力でした。

第1回目は、第一次ポエニ戦争の発端となったシチリア島のシラクサを支配していたヒエロン2世を中心に話を進めます。

シラクサ市はシチリア島のイタリア側にあります。

島の反対側にあるメッシーナ市を傭兵集団マメルティニが押さえると、シラクサの領域にも侵蝕を始め、マメルティニはヒエロン2世と対立をします。

傭兵集団であったマメルティニの軍団は素行が悪く、民衆からの支持もなかったことからヒエロン2世が優位に戦闘を推移させました。

このままでは敗れてしまうと判断したマメルティニは、北アフリカのカルタゴとイタリア半島のローマに支援を要請します。

当時、地中海貿易を一手に引き受けていたカルタゴはその貿易による富の蓄積と圧倒的な海軍力を武器に強大な国力を持っていました。

一方のローマは、ようやくイタリア半島を統一したばかりの農業国です。

ローマにとって海外派兵は時期尚早だと、当初は渋っていましたが、カルタゴが出兵を決意すると、シチリア島全土がカルタゴの勢力圏になることを恐れたローマも軍団を派遣します。

海戦の経験もほとんどなく、海軍を率いる将軍もこの戦争で初めて海を見たという状況でしたが、BC264年にシチリア島に渡り、BC263年にはシラクサ市を陥落させることに成功しました。

ローマはヒエロン2世にローマとの同盟を強要します。カルタゴとの戦いに備えての同盟です。

ローマ側が不利だと予想される中、ローマが立ち上がったのはなぜか。

イタリア系の住民が多いシチリア島の救援要請を断ることで、まだ統一間もないイタリア半島における反ローマ勢力が勢いづくことを恐れたことが理由の一つとして挙げられます。

さて、シチリア島の領有権を巡って、カルタゴとローマが激突することになりましたが、シチリア島は山がちの地勢であったため、戦いはもっぱら海戦に集中します。

カルタゴ艦隊の圧勝が予想されていましたが、ローマは船の先端に相手の船に渡るための装置を設置することを思いつきます。

海上で敵艦隊と遭遇するとその装置を敵艦隊へとつけ、兵士たちを送り込みます。海上での艦隊同士の戦いから、船上での兵隊同士の戦いに持ち込むことに成功し、ローマは優位に戦争を進めることができました。

BC264年に始まった第一次ポエニ戦争は、BC241年にローマ側の勝利で、講和条約が結ばれます。

カルタゴは莫大な賠償金負担と海外植民地の放棄を余儀なくされ、その国力は下降していき、反対にローマは地中海の覇権を握りました。

当初はローマ側に強要されて同盟を結ばされたシラクサのヒエロン2世でしたが、ローマの友好的な同盟国としての地位を守り、BC215年に死去します。

ヒエロン2世が死を迎える数年前からカルタゴは、ローマに対して再戦を挑み始めます。

捲土重来を目指すカルタゴは一人の将軍にその運命を託すことになりました。

以上、本日の歴史小話でした!

========================
発行人:李東潤(りとんゆん)
連絡先:history.on.demand.seminar@gmail.com     twitter: https://twitter.com/1minute_history
主要参考文献等リスト:
https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
※本メルマガの著作権は李東潤に属しますが、転送・シェア等はご自由に展開頂いて構いません。
※配信登録希望者は、以下URLをご利用ください。 http://mail.os7.biz/b/QTHU
========================

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?