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#0120【さらば老将よ、若き旋風(ポエニ戦争・スキピオ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

急遽、北アフリカのカルタゴ本国へと呼び戻されたハンニバルは、カルタゴ近郊のザマの地でローマの若き英雄スキピオと戦います。

イタリア半島で猛攻を示したハンニバルも突然の帰国で準備不十分だったことと、若きスキピオに戦術を研究されてしまっていたことが原因で惨敗を喫してしまいました。

再びカルタゴはローマの前に屈することになり、第二次ポエニ戦争も、名将ハンニバルの下であと一歩のところまでローマを追いつめましたが、結果はローマの勝利に終わります。

カルタゴは滅亡を免れ、再度巨額の賠償金を課されるなどの制裁を受けることで存続が許されました。

また、以後カルタゴはローマの許可なく一切の戦争を行わないことを誓約させられて、BC201年に第二次ポエニ戦争は終結しました。

戦争が終結したとはいえ、ハンニバルに対するローマの恐怖心は消えず、ハンニバルは刺客に追われる身となり、最終的にはアナトリア半島(現トルコ)にてその生涯を閉じます。BC183年頃のことと言われています。

35歳の若き英雄スキピオは、「アフリカヌス:アフリカの征服者」という尊称を得ます。

救国の英雄としての名声を欲しいままにしていたスキピオですが、政敵に戦費横領の疑惑を呈され、また賄賂を受領した嫌疑で告発されてしまいます。

スキピオに対する民衆の支持もあり、最終的にスキピオは無罪となりますが、彼は表舞台を去り、別荘地に隠遁してしまいました。

引退後のスキピオについての記録はあまり残っておりませんが、ハンニバルが死去した時期と同じBC183年頃に亡くなったと考えられています。

死因は不明です。

第二次ポエニ戦争を彩ったカルタゴ・ローマ両方の英雄たちは、どちらも寂しい最期を迎えます。

さて、第二次ポエニ戦争終結から50年後に第三次ポエニ戦争が勃発します。BC149年のことでした。

海外植民地を全て失ったもののカルタゴは莫大な賠償金を払いきったことから、ローマはその経済力に脅威を感じます。

カルタゴを滅亡させることを決意し、条約違反を責めて戦争を始めます。その開戦理由はこじつけに近いものだったようです。

カルタゴは3年に亘って必死に抵抗しますが、力尽き降伏します。ローマは生き残ったカルタゴの全住民を奴隷とし、カルタゴの土にも塩を埋め込み、都市としても消滅させました。

BC146年。長きに亘ったローマとカルタゴの覇権争いはローマの勝利で幕を閉じました。

第三次ポエニ戦争をローマ側で指導したのは、スキピオの義理の甥にあたる小スキピオ(第二次ポエニ戦争で活躍したスキピオと区別するための呼称。叔父が大スキピオ、甥が小スキピオ)でした。

これ以降、ローマは覇権国家としてその領域の膨張がますます広がりをみせていくことになります。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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