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#0089【コロンブス(スペイン、15C末‐16C初)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
大航海時代特集、第二弾はコロンブスです。

新世界アメリカの発見者として有名なコロンブスは1451年にイタリアのジェノバに生まれたと伝えられています。

小さな頃から航海者になりたいと思って育ち、航海術などの学問を習得していきます。その中でマルコ・ポーロの東方見聞録を読んで、アジアへの憧れが募ります。

1477年頃にポルトガルに移ったコロンブスは航海士、地図製作者として一定の成功を収めます。地球が球体であることを知り、西廻りに大西洋を横断してアジア・インドへ到達することができるとの考えに辿り着きました。

1484年頃に、コロンブスはこの「西廻り航路」という未知の冒険に対するスポンサーとなってもらうべく【0088:エンリケ航海王子】のもとで大航海時代の幕開けを進めたポルトガル王室に頼みにいきます。

しかし、ポルトガルの王室諮問機関がコロンブスの計画を否決してしまいます。ポルトガルにいても日の目を見ることはないと判断したコロンブスは、翌1485年にスペインへ向かいます。

当時のスペインでは、カスティリャ王国とアラゴン王国の両キリスト教国による、イベリア半島からイスラム王朝を駆逐するレコンキスタ運動が終盤に差し掛かっていました。

イスラム勢力の駆逐を優先していたため資金的な余裕がなく、すぐにコロンブスを支援することができませんでしたが、スペインはコロンブスの計画に興味を示します。

イスラム勢力の駆逐完了は1492年1月までかかりましたが、ここで資金に余裕が出来たスペイン王室がスポンサーとなってコロンブスの計画を進めることが決定します。コロンブスは1492年8月に勇躍、スペインから出航します。そして西に向かい続けて、遂に大陸へと到達しました。1492年10月のことでした。計画を思い立ってから8年の時が過ぎていました。

コロンブスは今の北米大陸に上陸しますが、彼自身はインドの一部だと思っていました。
そのため、アメリカ大陸の原住民をインディアン(インド人)と呼びならわすことになりました。(現在では、ネイティブ・アメリカンと呼称が変わっています。)

到達後、一旦スペインへと戻ったコロンブスは大歓待を受けて、英雄となります。スペイン宮廷でも厚遇を受けますが、嫉妬も受けます。

「ただ、西に向かっただけだろう。コロンブスの手柄ではない。」と晩餐会で皮肉られたコロンブスは、テーブルにあった茹で卵を立てられるかと問います。皮肉を言った貴族は立てることができませんでしたが、コロンブスは卵の底を潰して立てました。

「それなら、誰だってできる。」と貴族からクレームを受けますが、コロンブスは「答えを見たあとなら誰でも解けるが、それを思いつくことは誰にでもできることではない。」と答えました。

これが「コロンブスの卵」の故事です。

ここまでがコロンブスの絶頂期でした。彼はそれから何度もインドと信じた北米大陸とスペインを往復しますが、北米大陸からは期待した香料や金などの富を見つけることができませんでした。

1499年にはポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ西岸を南下して喜望峰を回航してインドに辿り着きました。コロンブスは焦りますが、結局、北米大陸をインドと信じたまま1506年に世を去ります。

アメリゴ・ヴェスピッチの手によって北米大陸はインドではないことが確認されたため「アメリカ大陸」と呼ばれるようになりました。コロンブスの名前は中南米のコロンビア共和国にその名をとどめています。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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