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#0098【ピラミッドとヒクソスの侵入(古代エジプト)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

ナイル川流域を制圧し、強大な中央集権国家を築きあげたエジプトの王様は「ファラオ」と呼ばれるようになります。
時代・王朝によって権威の強弱はあるものの、神の化身と位置付けられます。

初期のファラオたちは、この力の象徴として自身の墓を巨大なものとしました。

「ピラミッド」です。

今もカイロ近郊のギゼーに残る三大ピラミッドは第4王朝のクフ王、カフラー王、メンカウラー王の墓として造成され、現在もその威容を誇っています。

どのように造成したのか、不明な点も残っていますが、星の運行を元に方角を確認したようです。Google Earthで上空写真を見て頂ければわかりますが、ピラミッドの底辺が真北に対して正確に垂直となっています。
さらに発達した測量術をもとに設計図が作られて、ナイル川上流から切り出された巨石を積み上げて作られたと考えられています。

古代エジプト文明では、死後の世界は西にあるとの思想からナイル川の西岸に建設地が設定されました。

また死後の復活を信じており、遺体をミイラにして保存したことから解剖学なども発達し、高度な医療技術を持っていたと考えられています。

強大な権力を保持していたファラオですが、古王国時代の後半に進むにつれて貴族や神官などの勢力が強まっていき、ピラミッドの大きさが小さくなっていきました。

これを見て地方の豪族たちがファラオの権力に挑戦していくようになり、古王国時代(第3~第6王朝)から中王国時代(第11・第12王朝)の間にかけて、中央集権支配が崩れ地方分権化が進んでいきます。

エジプト国内での戦乱が絶えませんでしたが、ナイル川上流のテーベを本拠地とするメントウヘテプが第11王朝(BC2040年頃~)を開き、古代エジプトを安定へと導きます。

内部の安定は図れたものの、パレスチナから侵入してきた外敵のヒクソスによって紀元前1730年ごろに下エジプト(ナイル川下流地域)を占領されてしまいます。

上エジプト(ナイル側上流地域)にエジプト人の王朝を保持しますが、ヒクソスとの間に戦乱が続き、属国のような状態が約150年続きます。

このヒクソスから完全に独立を果たし、下エジプトもエジプト人の手に取り戻って以降が、新王国時代となり、古代エジプトの最後の輝きをもたらすことになります。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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