#0238【大英帝国の斜陽(イギリス)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今回は大英帝国の歴史を取り上げます。
以前、以下のとおり大英帝国を取り上げたことがありました。
No.217【大英帝国の萌芽】
https://note.mu/1minute_history/n/nea455b4b94f1
No.218【大英帝国の動揺】
https://note.mu/1minute_history/n/n19ecb2d08dfb
No.219【大英帝国の絶頂】
https://note.mu/1minute_history/n/n76a0ed265814
こちらでは1842年のアヘン戦争を経て1851年に世界最初の万国博覧会ロンドン万博の開催までを取り上げました。
その後もイギリスはインドの植民地化、スエズ運河の購入からエジプトの保護国化、南アフリカ植民地の拡大など世界への支配力を強めていきました。
この時期はヴィクトリア女王(在位:1837年~1901年)が君臨していましたが、イギリスは国王が存在しながらも「君臨すれども統治せず」を17世紀後半から維持していました。
国民の代表たる国会から政治を主導する行政府を構成する責任内閣制が取られていました。
このイギリスの大発展を受けてフランスやドイツ、ロシアなども世界展開を始めていきます。
世界各地でバッティングが起きるようになりました。特にフランスとは幾度となく戦争一歩手前となるような事件を繰り返しました。
戦争回避のための交渉を重ねるたびに相互理解が深まっていったことと同時に両国共通の脅威としてドイツやロシアが膨張を進めていったのです。
イギリスはロシアとはアフガンで、ドイツとは北アフリカなどでバッティングするようになります。
武力衝突も起きました。フランスはドイツとの敵対関係からロシアと同盟を結びます。
一方、イギリスは「光栄ある孤立」をもってヨーロッパ各国とバランスの取れた等距離外交を根本にしていました。
しかし、ロシアの南下政策に手を焼き始めるとイギリスは遂に非同盟政策を放棄し、1902年に日本と日英同盟を結び、ロシア対策に乗り出しました。
日本はイギリスのロンドン市場で戦費調達をするなど、有形・無形のイギリスからの支援もあり、1904年の日露戦争を有利のうちに幕引きすることに成功します。
イギリスは自国の植民地、経済圏をロシアの脅威から守ることに成功したのですが、その規模はあまりにも大きくなり、各植民地と本国政府の相互依存関係も深まりました。
これが逆にイギリスの足枷となっていきます。とてつもなく大きな領域・領土を守るためにはイギリス本国だけの力では無理があります。
ロシアの南下政策に対しては極東の日本と協力しました。ヨーロッパ内でのドイツの強大化にはフランスと連携を進めていきます。
そして、世界各地においてはイギリス本国政府は植民地政府の考えや意向にも配慮が必要な状況となっていきます。
なぜなら、全体で経済圏を担っている以上、一部分を切り捨てることができなくなってしまっていったからです。
植民地を獲得・拡大することによってその経済力を強め、未曽有の繁栄を築いた大英帝国ですが、逆にそれが重しとなり、その栄光に翳りが見えてきたのです。
以上、本日の歴史小話でした!
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発行人:李東潤(りとんゆん)
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主要参考文献等リスト:
https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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