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#0240【大英帝国と米国の台頭(イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

1914年から1918年の4年間にわたる総力戦により、イギリスも大きく傷つきました。

イギリスは何とか第一次世界大戦に勝利することが出来ましたが、そこには米国の参戦なしではありえませんでした。

また大英帝国を構成する各植民地政府とその地元民に対して独立を約束し、植民地の支えもあっての勝利でした。

米国の国際社会での発言権は強まり、こういった世界大戦を再び引き起こさないような仕組みとして国際連盟(League of Nations)を発足させるよう促します。

米国のウィルソン大統領は、人道主義を前面に出していましたが、国際社会での矢面に立つことを嫌った米国議会の反対によって、結局国際連盟に参加することはありませんでした。

英国は国際連盟の常任理事国として参加し、事務総長も自国から輩出するなどしますが、国際連盟は「全会一致」で物事を進めるため、大きな力を持ち得ることはありませんでした。
なお、日本も設立時から常任理事国として参加しました(のちに脱退)。

イギリスの各植民地は戦争協力の見返りとして独立を求めますが、戦争で傷ついたイギリスはますます植民地に経済力を依存せざるを得ず、約束は反故にされたままです。

ここからガンジーなどが独立運動を進めていきますが、イギリス当局の縛り付けも厳しくなかなか功を奏しません。

イギリスはその帝国内部でも国際社会においても徐々に力を失っていきます。

その代わりに大国としての地位を向上させたのが、米国です。戦勝国となりましたが、戦争による被害は小さく、国際社会における利害関係も小さいことから調整役として重きをなしていきます。

第一次世界大戦が起きた原因の一つに植民地獲得競争があり、その手段として軍隊、特に海軍・軍艦の建艦競争が白熱したことが挙げられます。

他国よりも優位に立つには経済力が必要。経済力を得るには植民地が必要。植民地を獲得するためには海軍力が必要。海軍力整備には軍艦が必要で、その建設には経済力が必要。

そして作った軍艦を維持するためにもランニングコストがかかるため、植民地を更に拡大させる必要があり、全面戦争へと突入していったとの考えです。

これを防ぐためには、海軍の軍縮が必要であるとされ、ロンドンとワシントンでそれぞれ主要国を招いての海軍軍縮会議が開かれました。

日本も参加しましたが、その内容は米英に有利であり、日本は制限される内容となりました。

当時の現状を固定化させるための会議であり、日本国内での反発も招きました。

自国の既得権益を死守しようとするイギリスの姿勢にアメリカが乗っかった形に見えたのです。

調整役としての米国の姿勢にもやがて疑問符が付き始めます。

イギリス内部の各植民地の不満、国際社会の不満がやがて新たな火種を呼び起こすことになったのです。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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