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#0154【自分を律せられるか(ネロ、古代ローマの暴君)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は暴君特集です。

初回は、古代ローマから暴君ネロを取り上げたいと思います。

ネロは37年に生まれ、54年に17歳の若さでローマ帝国の皇帝の座につきます。

若いながらも、ネロの治世初期は、家庭教師でもあった哲学者セネカや近衛長官であったブッルスの教えや政治の補佐を受けて名君との呼び声・評判を受けていました。

実際、能力的には高かったと言われています。芸術家に憧れ、自らが主役の自作演劇や詩の朗詠をローマ市民たちの前で行うなど、少しイタイ面はありましたが、それなりの評判を持たれていました。

悪い君主には、二パターンがあると考えています。一つは暴君。もう一つは暗君です。

暗君は「暗愚」な君主・リーダーという意味に捉えています。簡単にいえば「お馬鹿さん」です。実はこの手のリーダーは困った存在ではありますが、被害は大したことがないといえます。

面倒なことや勘違いで変なことを言いだしたりするのですが、自分に能力がないため、政治に混乱をきたす前に追放されたり、幽閉されたりするからです。

一方の暴君は、能力は高いのです。能力が高いからこそ、周囲に対して高圧的な態度に出て、それを元に自分勝手な政治をするのです。自分が正しいと思っているから暗君よりも余計にタチが悪い状態となります。

能力がなければ、周囲が止めて暴走させるまでに至らない。しかし、能力が高ければ、周囲の反対を押し切って暴走してしまう。

能力が高いという意味では、暴君と名君・優れたリーダーは一緒なのです。違いは何か?

それは、自己コントロールができるかどうか。そして、自分よりも優秀な人材を使いこなせるかです。

人間どんなに優秀であっても個人ができることには限界があります。そのことに謙虚になって、自分の感情を制御することができるかどうかなのです。

その点、皇族に生まれ、若くして安定期に入った大帝国の皇帝となったネロには、自分の感情を制御する能力に欠けていました。

彼は、自分の贅沢や芸術のために民衆を省みない政治を繰り返し、自分に反対するものは、妻であっても母であっても容赦せず、粛清(殺害)していったのです。

あげくにローマで大火災が発生し、ローマ市民から「自分のための贅沢な施設をつくるための更地が欲しくてネロが放火したんだ」という噂が流れるほど、評判は地に落ちました。

彼はここで放火の罪を、当時まだ新興宗教であったキリスト教の教徒たちの仕業として迫害を繰り返しました。

ネロの行った行為自体は暴君としては少しスケールが小さいものではありますが、このキリスト教徒への弾圧という事実が彼の歴史上の評判を「暴君」と決定づけたかのように感じます。

ネロの評判が悪くなっていくなか、68年に穀物価格が高騰しているローマで、エジプトからの穀物輸送船が食料ではなく宮廷格闘士用の闘技場の砂を運搬してきたという事件が報じられるとネロへの反感は頂点に達します。

ネロは「国家の敵」とされてしまい、ローマ郊外に逃亡しますが、騎馬兵が近づく蹄の音を聞くと自害して果てました。満30歳の若さでの死です。

皇帝自ら自作主演の劇を演じるなどのキャラが愛されていたのでしょう。ネロの死後、その墓にはローマ市民から花や供物が絶えなかったといいます。

歴史に悪名を残すほど、同時代人からは嫌われていなかったのかもしれません。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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