#0075【ヒッタイト王国(メソポタミア、BC16世紀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

古代メソポタミア特集の最後はヒッタイト王国を取り上げます。

ハンムラビ法典を制定したハンムラビ大王が死んだのち、メソポタミアを支配していた古バビロニア王国は徐々に衰退していきます。

古バビロニア王国はイラン高原からカッシート人、アナトリア半島(現トルコ)からヒッタイト人に攻め込まれます。

そしてBC1530年頃にヒッタイト王国によって古バビロニア王国は滅亡させられました。

ヒッタイト王国が古バビロニア王国を滅ぼすことが出来た理由は、「鉄」です。

世界史上最初に鉄製の武器を手にしたのがヒッタイト王国でした。周囲の国々は青銅器しか保持していませんでした。青銅器と鉄の違いは色々ありますが、鉄は強度が高いうえに加工がしやすいという特色を持っています。唯一の弱点が「錆」による劣化です。

ちなみに銅像はありますが、鉄像は一般的ではありません。錆の劣化・腐食のメンテナンスが大変だからです。近代に入ってステンレス(Stainless:錆知らず)が作られたことは、大きな技術革新だったのです。

さて、強力な鉄製武器を持ったヒッタイト王国はアナトリア半島の一部からメソポタミア全域までを支配する広大な領土を保持します。

一方、ナイル川流域でもエジプト王国の拡大が進んでいました。

BC1285年頃、エジプト王国とヒッタイト王国の間でシリアの支配権を巡ってカデシュの戦いが起きます。カデシュは地中海沿いにあり、ヒッタイトは攻め込まれた側でしたがエジプトを撃退することに成功しました。

ヒッタイトはエジプトと合計15回にも亘ってシリアを巡って交戦することになりますが、世界最古の国際条約を結んで講和しました。

内容は、ヒッタイトが外敵に攻められたらエジプトは援軍を出す、その逆も然りとした安全保障条約でした。政略結婚も行われ、ヒッタイトとエジプトは同盟国となりました。この条約は現在もエジプトのカルナークの神殿とラムセス廟にエジプト象形文字で刻まれています。

そのヒッタイト王国も地中海東岸で勢力を誇った謎の民族「海の民」によってBC12世紀頃に滅ぼされてしまいました。

メソポタミアの地はBC7世紀頃にアッシリア帝国に統合されるまで、混乱と戦乱の時代が続くことになります。

以上、今週の歴史小話でした!

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