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#0110【法による統治を目指す始皇帝を支えた思想(韓非子)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
中国古典思想第二弾は「韓非子(かんぴし)」です。

この「韓非子」にも二つの意味があり、個人の尊称を示す「韓非子(韓非先生)」と書物を示す「韓非子(韓非先生による書物)」です。

個人名としては、「韓非(韓が姓で、非が名前)」です。以降、個人を「韓非」、書物を「韓非子」とします。

韓非は、中国戦国時代の七強国の一つである韓の王族の一人でしたが、傍流にあたり不遇の生活を行っていました。

王族に生まれながらも政治に携われない悔しさをバネに、彼が絞り出した書物が「韓非子」の一部です。彼の政治思想が昇華されたこの書物を韓の王様や政府高官たちに献呈しました。

現在、韓非子は55篇から構成されていますが、韓非によらない著述が含まれていると考えられています。後世に加筆・修正されており、篇によっては丸ごと他者が記述したと思われるものもあります。

いずれにしろ、この韓非子は徹底的な性悪説に立っており、人間不信を前提に社会システムを構築する必要性を述べています。孟子とは真逆の思想です。

人間本来の性質に頼っても、社会の安定は成し遂げられず「法(ルール)」による統治が必要であると主張します。

これは、たとえ王族や貴族であっても「法」に従うべきという主張であり、既存権益の保有層から嫌われ、韓非の本国である韓からは見向きもされませんでした。

しかし、この韓非の思想と書物に感激した人物が隣国にいました。

その人の名を「秦王政」と言います。後の「秦の始皇帝」です。

彼は中国を統一する前に韓非子を読み、とても感動します。若かった始皇帝は絶対権力を保持しておらず、自分よりも年長の叔父や政府高官たちに羽交い絞めにされていたのです。自由に政治など行えず、鬱々としたものを感じていました。

王が定めた「法」が絶対であるとする韓非子の主張・思想に始皇帝は共鳴します。

韓非自身も秦に招かれ、始皇帝の家庭教師となりますが、祖国韓との通謀を疑われて、最終的には獄死することになりました。

韓非の死後もその思想は始皇帝の中に生き続け、始皇帝は秦内部で起きた内乱を治めて対抗勢力を一掃し、権力を握ります。

そして「法」に則った国家をつくり、史上初の中国統一を成し遂げたのでした。

さて、韓非子は「東洋の君主論」とも呼ばれる書物ですが、
 ・君主論(16世紀前半成立)よりもはるかに古い
 ・韓非子の理論で始皇帝は中国統一を果たした
  (君主論は直接的にイタリア統一に寄与しなかった)
という二点から、筆者は君主論こそ「西洋の韓非子」であると、主客を逆転させるべきだと考えています。

君主論については勉強会で取り扱いましたので、今度「韓非子」についても取り扱いたいと思います。

以上、本日の歴史小話でした!

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