こんな日が来るなんて

 元日に感じた清々しさは、「昨年中にやるべきことはやった」という充実の裏返しにほかならない。正月を迎え、ようやく振りかえる余裕ができたとき、その充実感に包まれたのだった。
 よくがんばった、なんてことを言いたいわけではない。会社の代表が、誰かに「がんばったね」と言ってもらって喜んでいるようじゃ、その会社は危ういだろう。そのとき、その状況において「これだけは外してはいけない」を実現する。その結果の責任をとるのが、責任者という存在なのだから。4番がチャンスで打たなかったから負ける。昨年、阪神(タイガース)ファンたちがたびたび嘆いたように(僕は、大山をずっと応援している。関係ない話だが)。
 一冊!取引所を運営するこの会社の昨年秋時点でいえば、「倒産させない」ことが第一の「これだけは外してはいけない」であった。つまり、資金繰りの目処をたてる。
 だが、それを達成したからといって気を抜くわけにはいかない。目の前の倒産回避は、なにも、事業継続を保証してくれるわけではないのだ。
 事業が継続していくには、その大前提として「いいもの」をつくり続けていくこと。これが欠かせない。むろん、いいものを作れたからといって、事業がうまくいくわけでもない。バッターがどれほどいいスウィングをしたとて、すべてヒットにはならないのと同じだ。ただ、いいスウィングをすること、いいものをつくることは安定的な結果の大前提であるのは確かだろう。
 その意味で、僕が会社を引き継いだ時点で、やることが山積していた。
 この会社に関わって一年半が経った昨年夏の時点で、運営側ではなく、いち参加出版社の僕の実感は「もうちょっと使い勝手よくならないかな」というものだった。たとえば、S書店さんが、10アイテム、計30冊の注文を一冊!取引所でおこなう。その通知が出版社である私のもとにメールで来る。ここまではいい。問題はその通知のされ方だ。この場合、10アイテムごと、つまり10通のメールが来ることになる。同じ S書店から同タイミングで注文されたにもかかわらず。この違和感は、1ユーザーとしてAmazonを一度でも使ったことがあればわかるだろう。Amazonで書籍を10冊同時に注文したからといって、一冊ごとに10通の「注文完了」通知が来る、なんてことはない。同時に購入した商品はどれだけ複数、他アイテムであれ、一通で通知される。当然だろう。注文アイテムごとに通知が来るなんて、「単なる無駄」でしかない。
 「業界にはびこるよくない無駄を減らし、使いやすい「生きたプラットフォーム」を目指します。」
 一冊!取引所を開始するにあたり、僕自身言ってきたことだ。にもかかわらず、一ユーザーとして不便を感じている。というか、自社のサービスを経由することで「無駄」が生じている。当然、忸怩たる思いが拭えないでいた。
 どうしてこんなにわかりやすい不便が一年以上も続いたのか?
 その理由についてはあらためて触れたい。ここでは、反省を経て、自分たちのミッションを見つめ直したことを述べるにとどめる。創業より、ホームページのトップには「出版社と書店をつなぐ受発注プラットフォーム」と謳ってきた。それを、次のように変えた。
 「出版社と書店の現場をつなぐ」
 ただし、単に「つなぐ」のでは不十分。「それなり」につなぐのは、さして難しくはないのだ。もっとも、これがピットフォールなのだが、「いいものを作る」だけでも十分ではない。エンジニアの技術優位の発想から現場の使い勝手の良さとは違うものを作る。あるいは、運営側が「今、できること」「自分が理解していること」だけをエンジニアに伝えて、ユーザーの現場が置き去りになる。こうしたことが起こりかねない。
 常に「現場と現場」がつながる。
 「現場のほしい」を、エンジニア、運営側、開発、普及に関わる全員が過不足なく把握し、その通りを実現する。医療現場で感染に必要な防御用具が不足しているときに、現場で使えない大量のマスクをつくっても仕方がないのだ。
 ところが、こうしたことが各所で頻繁に起こる。やれやれまったく、とおかみを批判していたら、自分の足元でも起きてしまう。
 代表に就くまでの一年半で、このことを身が引き裂かれるような思いとともに反省した。
  
 一冊!取引所としての「いいもの」、つまり、「現場が本当に欲しいもの」を実現していくため、まずは足元をもっともっと整える。昨秋より、こうした改善を急ピッチで進めた。急がば回れ、だ。
 と言いつつ、急いでもいた。のっけから矛盾するが、たいへん急いでもいたのだ。
 創業まもない時期から構想していた新サービス「一冊!決済」を一刻も早くリリースしたい。その思いに駆られていた。
 
 一冊!決済をひとことでいえば、クレジットカード決済で書店が書籍を仕入れることができるシステム、となる。ちなみに、業界初のサービスである。
 裏を返せば、出版の世界で新刊をクレジットカードで仕入れることができなかったわけだ。
 足元を固める行為とともに、この決定打を喉から手が出るほど欲していた。直取引版元としての悲願でもあった。
 とにかく直取引による毎月の精算はたいへんである。たいへん過ぎて、ミシマ社の十五年間を見ても、この営業事務業に携わってくれた人たちの離職率だけが群を抜いて高い。書店ごとに月々の納品ー返品を計算をし(3ヶ月委託分と当月精算分の二つを分けつつ)、請求書を打ち出し、折りたたみ、封筒に包み郵送する。この一連の動きを毎月数百店へ向けておこなっている。それが、クレジットカードで決済が終わった状態で商品の発送ができるようになれば、膨大な請求業務の手間がゼロになる。まるで夢のような話ではないか。
 一方、一冊!取引所を運営する会社の代表としては、この決定打で事業を好転させたい。当然、この思いが強かった。
 それで、代表になることになった9月時点で、「12月にはリリースできますかね?」とエンジニアに訊いた。その時のエンジニアさんたちの苦笑が忘れられない。今から思えば、エンジニアの「現場」を僕は全然わかっていなかった。このレベルの開発を下絵もゼロな状態から2ヶ月ほどで開発し、リリースできるものではない。たぶん、それを強いるなら、「徹夜でお願いします」となるのだろう。
 その当然の感覚が僕にはなかった。やはり、自分自身、現場に立って一緒にやらないとわからないものだ。これも大いなる反省とともに得た学びである。
 
 1月17日未明、無事、一冊!決済はリリースされた。
 エンジニアの方々のご尽力の賜物だ。本ができるのとは別種の感動がそこにはあった。それは、本づくりとは違って、逆さに振ってみたところで、決して自分ではできない。それができたことから来る感動だったろうか。
 リリースから10日経った1月末。
 一冊!取引所のユーザーであるミシマ社に、「取引形態;一冊!決済」と表示された注文メールがどしどし届いている。
 それを見て、心の奥底から思った。
 (世界が変わった・・・!)
 あまりに長い間、望んできた仕組みだった。あまりに長く望んできたので、これは脳内だけで実現するものなんだ。と半ば諦め気味に思うようになっていた。
 それが、今、現実となっている。もう、これ以降、ないことにはならない。ずっとこれが当たり前になる。
 出版界の常識がほんの少し前進した。その真っ只中に今、自分はいる。まったくと言っていいほど波風は立っていない。ほぼ無風。けど、間違いなく、常識は書き換えられたのだ。
 怒涛の数ヶ月をようやく振り返りながら、ほんの少しだけ感慨に浸るのを自分に許した。それは、自分が手を動かしてつくり得ないものができた、そのことへのエンジニアさんたち、関わってくれた方々へ自分ができる精一杯の感謝の態度だと思ったからだ。
 (おかげさまで最高のものができました。まだ、世間ではほとんど知れていませんが、これは確実に現場が長年欲してきたものに間違いありません)
 そのことだけは僕が全身で保証したい。そんなことを喜びに浸りつつ思った。

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