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人生の羅針盤の針は今、くるくる回っている。

最終勤務日から一週間が経過した。そして、今振り返って思うので、この一週間を何もせずに過ごしてしまったことだ。まるで週末が長々と延長した感じ、また何かをやる気が起きないことだ。今まで仕事で時間を埋めていた自分にとって、突然時間ができて、その使い道がわからなくなったためだろう。友人から鬱になってないか心配された…そこまでではないが、虚無であることは間違いない。退職直前にやりたいことをリスト化してみたいが、いざやろうと思うと上手いようにいかないのだ。だからこそ、来週から少しでも一歩進めるように気合を入れ直して、自分から一歩踏み出す必要がある。

そんな最中、同盟国の大統領選を世界が注目していた。私も勿論、あらゆるニュースを追い続けた。東海岸から開票進み、選挙人の色が次々と決まり、ついに激戦州の開票が進むにつれ、優勢がわかると大統領が勝手に勝利宣言(?)し、更には自らが劣勢になると開票停止を求めたり、提訴宣言してきた。最後の最後で郵便投票分が入るのはずっと言われてきたことだし、開票停止を求めること事態、民主主義を謳う国家元首として相応しくないし、権威主義者(authoritarian)である証明だろう。私は別にバイデン支持者ではないが(確かに第二の故郷シアトル・ワシントン州は常に民主党支持派だが)、トランプが米国をあらぬ方向へ舵を切り過ぎているのが問題だ(別に保守・リベラルという主義主張の話ではなく、米国内外政策の話)。以前、誰かがレーガンの統治を真似していると聞いたことがあるが、果たしてどうなんだろうか?私はレーガン時代を生きたわけではないが、トランプ統治下の4年間を振り返っても類似性は確かにある、ざっと調べた限りでは積極的財政政策と強硬な外交姿勢はレーガンと似ているが、時代が違うからか、レーガン時代のような支持は得られていない。確かにトランプは権威ある相手にもひるまず、強硬的にやり返す姿勢はある意味学べる点ではあるが、簡単に嘘を付く点や支持者・一部地域の民衆にしか語りかけない、耳を傾けない点が統治者としてのミスだろう(大統領は支持者だけでなく、非支持者のことも考える必要が求められる)。そんな私がトランプの4年間で唯一評価しているのは、戦争を引き起こしていないことだろう(ヒヤリはいくつかあったが)。今後の米国が誰の手に委ねられるのかまだわからないが、連邦最高裁が保守派に牛耳られている時点で今後数十年はリベラル派には生きづらい社会になるだろうことは容易に想像できる。

さて、話が大いに逸れたが、今日、友人と話をしているうちに、自分は何がしたいのか分からなくなってきたことをここに記したい。将来「やりたいこと」、自分が「できること」、キャリアとして「積み上げてきたもの」、今「やるべきこと」がそれぞれ異なっていることをグルグル思考が回った。背中を押してくれる人が周囲にいるのはすごく恵まれていることだと思う、でも結局自分で決心・覚悟しなければならないことを改めて思った。深く考えれば、考えるほど、周辺を見渡すと超えられないと「思っている」壁が多くある。また周囲には自分よりも圧倒的にTalentedな人しかいないと「思っている」。要は自分には自信がないのである。いくら周りから「そんなことはない、十分戦っていける才がある」と言われても、萎縮してしまうのだ。

「結論のない問い」、「正解のない人生」、だが一つだけ確実なことがある。それは自分には明日という方向を向き、ひたすら考えることができるということだ。最後に以下の名言で、執筆を終えたいと思う。

「良心は人間の羅針盤だ。その針はときに狂い、示された方角にはしばしば不規則さを感じ取るが、それでも指示に従うようにせねばならぬのである。」
ー フィンセント・ファン・ゴッホ(ポスト印象派の画家)

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