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人生の羅針盤は今はどこを指しているのか?

人生の羅針盤は憂悶と言う磁場で狂いやすい。

昨年の11月に前職を退職してから約1年以上が経過しました。結局、そのまま就職せずにパートナーたちと立ち上げた金融スタートアップ会社はライセンス取得に難航しているため、開業届を出して個人事業主として、業務委託を受けながら生活しております。この羅針盤シリーズも投稿が前回から約1年以上空いてしまったが、現状報告を含め振り返ってみたいとと思う。

まずは、Q1(第1四半期)。年明けに友人達と秋田で4年ぶりにスキーをしたり、コロナ濃厚接触者となり親友の結婚式を欠席せざるを得なかったり、Youtuberとして動画投稿してみたり、会社役員になったけど開業届を出して業務委託で生活費を稼いだり、失業給付金申請からの戦略変更で再就職手当を獲得したりと忙しい日々が続いた。

Q2(第2四半期)は退職して収入がガクッと下がった(約220%減)こともあり、日々の収支に気を付けながら細々と過ごす日々が続いた。一早く会社が業務できるように頑張りつつも、「重大な法改正」と「当局の在宅勤務」が重なり、ライセンス取得のプロセスが全く進まないでいた。これは自分にとってはプレッシャーとなっており、どうしたらいいのか頭を抱えていた。世間的には各種方面で物議を醸す東京オリンピックが開幕され、私も29歳になり、私生活の面でも20代最後の一年ということもあり(30歳を満足して迎えるため)プレッシャーをじわりじわりと感じてきた。こんな中で良いことがあったとすれば業務委託報酬を上げて頂けたこととウクレレを受け始めて2年以上が経つが先生からもう中級ですねと言ってもらい少しずつ成長している実感ができた事だろう。

Q3(第3四半期)においてはゆっくりながらライセンス取得の手続きは進行していた。大きな変化はなかった。業務受託の労働量が増えたこともありこっちに時間を割いていたが、新たなフロンティアと言うこともあり、大変学びが多く、充実した日々が送れていた。マネジメント経験も今までは部下がいなかったこともあり積めていなかったが、一つの部署を任せて頂き、プロジェクトや人員のマネジメントを経験する貴重な機会となっている。同時に自分の今後のキャリア像(国際公務員への道筋)を悩んでいた時に自分の専門分野と一致する外務省任期付職員が何個か募集していたので応募してみた。現役外務省幹部の方からもアドバイス等を頂いて準備を進めたが、残念ながら書類選考で全滅(落選の理由はわからないが、経歴が浅すぎるのだろうか?)。やむを得ず、現状維持の状態が続いた。この頃から友人とFeelcycle(暗闇バイクエクササイズ)に通い始めた。ハードだが、まだ続けられていることを考えれば相性は悪くないのだろう。

早いこと既に一年が経過し、またQ4(第4四半期)が到来してしまった。再度言うが起業してから1年以上経った今も未だ昨今の社会情勢による影響受け、ライセンス取得に苦戦を強いられている。こうした中で、自己研鑽を続けるため、会社のパートナーたちに相談した上で、役員として籍を置きつつ、2022年2月からGAFAにて非金融コンプライアンスの修行をすることにした(もちろん正社員として入社する)。また、受託業務についても副業がOKであることを鑑み、業務量は縮小するも継続することにした。つまり、三つの組織に所属し、昼夜問わず仕事をすることになる訳だ。これはあくまで、会社がライセンスを取得し、軌道に乗るまでの一時的な環境である。過重労働にならないよう調整力が試されるわけだが、充実した日々が見える。

これが現在までのここ1年間の軌跡と言える。小説を書いているような展開の数々に違和感を覚えつつも、自分の人生であることを噛み締めている。自分は間違いなく邪の道、イレギュラーなキャリアを歩んでいる自覚はある。だが、そんな自分を否定するつもりもなく、「たまたま歩んでいる道を選択したのが私1人だった」と言う状況が連続しているに過ぎない。今の日本ではそぐわない価値観であり、自分は今までも周囲からは異端な存在として認識されてきた。「仮に出る釘は打たれる運命ならば金槌を壊すような強い意志を持ち、仮に自分色が黒に染められる境遇ならば柔軟で弾性ある意思を保ち続ければいい」ことだと思う。幸いにして今までその考えが災いして、凶となったことは少なく、むしろ吉として理解ある人々が周辺い多くいた。共感は得られなくても応援してくれる方々に私は救われてきと言える。いずれは自分が彼ら彼女らに無常の手を差し出せる日が来る事を願いたい。

数年前から「人生を経営するが如く、自己研鑽、技能投資、柔軟的工夫、戦略的戦術を銘記すること」を人生の標語に掲げて日々活動してきたが、ようやく最近具現化することが出来てきた気がする。

最後に現在一緒に頑張ってる共同創業パートナーたちや業務委託してくれる会社、状況を理解し支えてくれる家族、悩みごとに耳を傾けてくれた友人、こうした恵まれた環境下に甘えつつ、自分磨きと言う自己的好奇心や向上心への理解に感謝し、引き続き2022年も頑張っていきたいと心誓い終えるとしよう。

【余談】
少し前に読んだ「Think CIVILITY『礼儀正しさ』こそ最強の生存戦略である」から興味深い内容があったので、自分の体験と絡めつつ軽く記してみようと思う。

まず、「礼儀」と聞いてどれだけの人が日常生活で意識しているだろうか?これは別にテーブルマナーや紳士の振る舞いを指している訳ではない。日常的に横柄な態度でいたり、シンプルに「ありがとう」を伝えられない人が多いと思うのは自分だけだろうか?実は書籍によると現代の若者の方が25年前に比べ30%自己愛が強いという結果が出ているとしており、無礼な人が増えていると主張してた。実際、外を歩いてみると無礼な人はそれなりに目に入るし、自分の職場に一定数いた。直接被害にあったこともあれば、同僚や友人から被害を受けていると聞いたこともある。自分の退職も人間関係に起因しており(勿論それだけがではないが)、今思えば、書籍で説明するような無礼さがあったと思う。

本書籍では、無礼な人がもたらす5つのコスト
(1) 同僚の健康を害する
(2) 会社に損害をもたらす
(3) 周りの思考能力を下げる
(4) 周りの認知能力を下げる
(5) 周りを攻撃的にする

自分の退職を正当化する訳ではないが、所属していた3社全てで上司との関係は最悪だった。パワハラに該当するような高圧的な態度をとられることもあったが、何より辛かったのが人の話を聞いていないことだ。「報連相」が必要だと新卒の頃言われるが「無視される」か「なかったことにされる」のが常である。上司が偉いのかもしれない、忙しいのかもしれない、何しても許されるかもしれない、だが部下も奴隷ではなく、人間である以上そのように扱われるのが当然あるべき姿である。自分の存在価値が見出せなくなって、会社を辞めることがそんなに悪ことなのだろうか?

「私が学んだのは、人は、他人が言ったことを忘れるし、他人のしたことも忘れるけれど、その人にどういう気分にさせられたかは決して忘れない、ということだった。」ー マヤ・アンジェロウ(アメリカ合衆国の活動家・詩人・歌手・女優)

上記の名言からもわかるように、加害者は忘れても被害者は覚えている。受けた仕打ちは消えない過去として記憶され続けてしまうと言うことだ。私が人の上に立つ日が来た時はここに記したことを決して忘れないようにしなければならない。出なければ私も、過去の上司と同じになってしまうのだから。


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