20代OL、うつ病になる

私は先月うつ病になり、1ヶ月の休職期間を経て、ついに明日復職予定のOL。

昨年末にバセドウ病が発病し、
薬が効き始めてほっと一息ついていた矢先、
急に仕事ができなくなり、うつ病の診断を受けた。

今回は、どこにでもいるOLがうつ病になったらどんな生活を送るのか、
覚えている限りではあるが記しておこうと思う。

3月上旬(発病1週間前)


企業決算、PRイベント、予算の消化など、
3月はどの会社も特に忙しい時期である。
広報代理は、お取引先の会社の忙しさに比例する業務のため、
忙しくてもまったく疑問を抱かず仕事をしていた。

朝の9時にはメールチェックやタスク確認を済ませ、
10時始業を迎えるまでに1つはタスクを片付ける。
お昼休憩の間も常にPCに張り付き続け、
そのままミーティングや作業に明け暮れ、
気がついたら終業時間である19時。

19時。
定時で帰れる社員に「お疲れ様です!」と笑顔を振りまき、
引き続き自分のタスクに向き合う。

しかし、やってもやっても終わらない仕事。
積み残しがあっても、23時で一旦切り上げ一時帰宅。
もちろん帰宅してから作業再開する元気なんてなく、
明日朝イチのタスクになるのがお決まりだった。
だから、積み残しタスクを始業前に片付けることがルーティン。

ざっくり言うと、こんな感じで生活していた。
今考えてみれば、少し異常。
いーや、たぶん、結構、異常。

一方、私生活では、2月中旬に引越しを行い、
新居での生活がやっと落ち着いた頃だった。

一人暮らしから同棲へ。
私の人生が少し前に進んだ気がして、なんか嬉しかった。

同居人からしたら、同棲したてで彼女がお死にになられたら、
相当大変だし気を遣うし、家でも心が休まらなかっただろう。
本当に申し訳ない。
そんな状態でも、根気強く我慢してくれてありがとう。
たまに自然界隈に連れ出してくれたり、
老夫婦に抜かれるくらいゆっくりな歩行速度に
文句ひとつ言わずペースを合わせてくれた相方には、
元気になったら大きめの恩返しをしようと思う。

3月中旬(発病)


3月11日の朝、
私は自分の身体の異変と格闘していた。
翌日にイベントを控え、何が何でも出社をしないといけない日。
絶対に飛ばせない仕事があるのに、
私の身体は全く言うことを聞いてくれなかった。

目の前が真っ暗になったり、
起き上がることもできないくらいの目眩、
どうしたことか、布団から起き上がることすらできなかった。

やばい。どうしよう。仕事に行かないと、、、

焦りがどんどん募っていくが、流石に起き上がれないと会社に行けない。
悩んだ末に決心し、上長に電話を入れて、仕事を休んだ。


それからは、どうやって起き上がったかよく覚えてないが、
多分タクシーで病院に向かい、診断を受けたようだった。

「うつ病です。とりあえず、少し仕事を休みましょうか。」

どうせ貧血だ、とか思っていたが、しっかりうつ病の診断を受けた。

まさか自分がかかるとは思っていなかったし、
いわゆるメンタルの異常を感じていた訳ではなかったため、
身体的な不調からでも診断されるのか、と思った。

診断を受けた時は、まだ明日のイベントのことで頭がいっぱいだったし、
目眩の症状さえなくなれば会社に午後から行けるよな、、
とか考えていた。


実際は、翌日のイベントどころか、その後私は1ヶ月、
しっかり休職することになる。


3月中旬〜下旬(発病後)


うつ病の診断を受けて数日の間は、
朝全く起きれず、ほぼ布団の中でうずくまっていた。
身体がとにかくだるく、陽の光なんて眩しすぎて見れなかった。

ご飯も美味しくないから最低限しか食べない日があった。
逆に、3日に1回くらい、不定期だが朝から起きれる日があり
その日は3食しっかりご飯が喉を通り、家事もこなせた。
スターを獲ったマリオみたいに無双できる日があることで、
その日にたまっていたLINEを返せるから、
普段会わない友達には私の状況はばれなかった(はず)。


そして、身体の不調に追いつくように、メンタルも壊れていく。

今まで移動時間や余暇時間を費やしていた、
大好きだったYouTube動画やドラマ、ラジオなどのエンタメも、
動画の序盤で内容が頭に入ってこないし、もはや雑音だった。

唯一、定点カメラでひたすら中華料理が作られる動画だけは
2時間でも3時間でも見れた。
エビチリは一度に3皿まで同時調理ができること、
水溶き片栗粉は2~3回に分けて少しずつ加えること、
あとは、最初に入れる材料や調理過程で、
どんな注文が入ったのか分かるくらいにハマった。

たぶん、
赤ちゃんがタケモトピアノのCMで泣き止むとか、
つわりが辛い妊婦さんでもマックのポテトは食べられるとか、
そういう感じで、私には定点中華が刺さったらしい。

かろうじて落ち着いていられたのは中華のおかげ。
ありがとう。いつか街中華を食べに行きますね。

度重なる悪夢、からの幻覚


メンタル的に分かりやすい症状としては、涙が止まらなかったり、
自分でもわからない何かに対して、不安な感情が湧き出てきたりした。
中でも嫌だったのは、悪夢ばかり見てしまうこと。

薬の副作用なのか、寝ると夢見てしまう。
その夢では絶対に嫌なこと言われるしな、、、
とか思うと余計に眠れなくなるし、
現実世界では優しい方々に罵詈雑言を浴びせられる夢が多かったから
普通に人間不信になっていった。

毎晩唸りながら枕を強く握りしめて、震えながら寝ていた。

また、夢でのトラウマは日常生活にも侵食してきて、
例えば道ですれ違っただけの人も、
私に強い恨みがあるように感じたこともあった。
それはさすがに自分でもビビった。そんなわけあるかよ、って。

一方で
これが精神疾患か、すさまじいな
と俯瞰できる自分もいたことは、若干の安心要素だったのかもしれない。


4月上旬~中旬(復職に向けたリハビリ期間)

元々1か月で復職したいなと思って休職に踏み切ったが、
4月に突入すると、新生活!新学期!のフレッシュな空気感が漂う。
家で何もできていない自分に焦りを感じ始めた。

はぁ、今日もソファで一日ダラダラしてしまった。
みんなは休まず仕事をしているのに、私は何もしていない。
なのに、なぜか時間はあっという間に過ぎ、一日が終わっていく。

そして、夜になるととてつもない罪悪感に襲われ、泣くか放心状態か。
分かりやすい廃人。

相方は、そんな廃人にも
「いいんだよ、今は休むことが仕事だから」
「少し元気になったら映画観るとか会いたい人に会うとかしてみたら?」
「家に帰ったら必ずいてくれるの嬉しいよ」
など、肯定的なことを言ってくれた。
優しいかよ。

だから、友人や大学の先生に会ったり、映画を観たり、
誰に会うわけでもなくてもネイル、美容院、まつパを予約したり、、。
言われた通り、少し予定を入れてみたりした。

それらを通して、
自分を労わるって大事なんだな、と心から思うことができた。
今まで仕事を言い訳に入会しなかったジムにもちょこっと入会。
時間が有り余るゆえに、2日に1回は通っていた。筋肉痛になりながら。

そんな感じで深く考えずに生活していたら、少しずつ元気になっていった。
(気がする)


遂に復職

産業医にもOKをもらい、正式に明日から復職することになっている。
一言でいえば、不安。

1か月何もしてなかったのに、急に働けるものなのか。。。?
という不安がある。
でも、一番怖いのは
またあの悪夢の日々に戻ってしまうのではないか
という恐怖。

もう今後は無理しないぞ!!!!!
って今は思えているけど、気づいたら徐々に戻ってしまうんだろうな。。。
私は上からの指示にはすべて「YES」としか言えない弱い人間なのだ。


でも、今後は、本当にダウンする前に、
「NO」の意思表示ができるように、頑張って心を強く持ちたい。


なぜなら、もう二度と、砂のようなご飯は食べたくないから。
大好きなエンタメが雑音になるのは悲しいから。


次回以降は、この手の闘病記録を書かなくても良いように、
とりあえず明日から、ほどほどにやっていきたいと思う。






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