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VTuberについて

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VTuberについて批評的・社会学な観点で捉えてみたい。 主な関心はVTuberとリスナーの関係にあります。 虚構のキャラクターではなく、生身の人間でもないVTuberという存在… もっと読む
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2023年にVTuberについて書こうと思ってたけど書けなかったこと

ちゃんと書こうと思ってたけど書けなかったことを2023年に置いていきます。今年の思考は今年のうちに😎 ↓姉妹編と併せてどうぞ😎 VTuberと二次創作の関係についてVTuber自体の二次創作性 VTuberは同じような見た目をして同じプラットフォームで同じ活動をする。 同じゲームをするし、同じ歌を歌うし、同じ話をする。 同じようなグッズを出し、同じような目標を持ち、同じように現実でライブをしたがる。 アニメや漫画がどこかで見たことあるお話を味付けを変えて提供しているのと

VTuberについて2023年に書いたものを振り返る

2023年に書いたものを振り返ります ↓姉妹編と併せてどうぞ😎 VTuberコミュニティが「自立」の基礎になることはできるか6月時点で考えていたのは、「VTuberコミュニティが中間共同体のひとつにならないだろうか」ということだった。念頭に置いていたのは大手ではなく、比較的規模の小さい箱~個人勢で、小規模のVTuberコミュニティが個人の「自立」の基礎のひとつになるのではないかと考えていたのだ。 ここで言う「自立」とは、特定のイデオロギー(共同幻想)に回収されず男女の関係

なぜVTuberについて語るのは難しいのか

この記事で「語る」というのは、批評的な観点で言及するということである。 数が多いまず数が多い。大手事務所だけでも500人くらいいる。 裾野を広げるとその数十数百倍のVTuber が活動していることになるだろう。すべてのVTuberのコンテンツを享受することなど到底できない。 それゆえVTuberについて語るとき、それは必然的に、ある特定のVTuber(たち)についての語りになる。 そしてそれは、後述するように、現在主流のVTuberたちに偏ることになる。 活動スタイルが違

「なぜVTuberの身体は活動を通じて、ただひとつの「魂」と離れなくなってしまうのか」を検討する

はじめにこの文章では『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」に掲載されている論考『なぜVTuberの身体は活動を通じて、ただひとつの「魂」と離れなくなってしまうのか』について、非アカデミックな立場から批評的な視点で検討を行う。 IEBという新しい概念を提示してVTuberの「親しみやすさ」に説明を与えたことに新規性があるとおもった。しかし、現象の捉え方自体は妥当であると思えるものの、先行研究(難波,2018)で提示された「三層理論」に無理矢理引きつけているように見え、そ

『「VTuberの倫理学」を検討する』の検討 ~「VTuber批評」の必要性~

はじめにこの文章では『青春ヘラ』Vol.7「VTuber新時代」に掲載されている論考『「VTuberの倫理学」を検討する──バーチャル・アイデンティティと「場」の形成』について、非アカデミックな立場から批評的な視点で検討を行う。 実はわたしも同じような問題意識を持っていた。 VTuberたちは定期的に炎上するし、そうでなくてもリスナーとの関係についての問題が結構な頻度で散見される。あと定期的に病む。リスナーも。 せっかくなので、この論考に乗っかるかたちで、わたしの認識との差

「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」と「INTERNET YAMERO」

最初に断っておくが、今からしたいのはどちらが優れているかという話ではなく、インターネット的な出自を持つ両者がインターネット的なものを引用しつつも決定的に異なっている点の指摘である。これを読むあなたの「好き」を損なうものではない。また文中の固有名詞の解説はしない。 両者は「平成インターネットをSNSでバズった引用した楽曲」という点で共通している。 先に自分で指摘するが、両者が引用する平成インターネットは同じものではない。粛聖!! ロリ神レクイエム☆が引用するのはニコニコ動画的

「超美麗3D」の意味するところ

VTuberは生身の身体を仮想の身体(アバター、イラストや3Dモデル)で仮構することで成立する。一般に「超美麗3D」とは、VTuberが現実の生身の身体を仮構することを指す。アバターを操作している生身の人間をライバーと表現するなら、はた目からみるとライバーが現実の姿をさらして配信しているように見える。 この「超美麗3D」という言葉は、単に現象を記述すると、「普段アバターのライバーが現実の身体で活動する事象」となるが、それを成立させる精神性には複数の説明がなされうる。 「VT

「VTuber」の限界について

その人がその人であること以前 VTuber の「超美麗3D」について書いた。現実の「ライバー」としての「超美麗3D」におけるエンターテイメント(以降エンタメと省略する)性を説明する文で、「その人がその人であること」という言葉をつかった。 非常に乱暴な言い方をすると、その人がその人であることはエンタメではない。なぜなら、ある概念から別の概念への移行がないからである。その人が何をやったとしても、すべてその人ならやりそう/やるだろうという想像の範囲内におさまる。誰かがすでにやった

VTuber とリスナーの関係ついて

はじめにVTuber は生身の人間が仮想の身体(アバター、イラストや3Dモデル)で仮構することで成立する。典型的な VTuber は名前と設定を持ち、その設定に従ってなんらかの行為(配信などの活動)をする。設定に従ってふるまうことは、一般にロールプレイ(以下RP)と呼ばれる。原理的には VTuber の活動はすべてお芝居ということになる。 この記事では、VTuberの設定についての考察からひとつの構造を提示し、その構造を通じて VTuber とリスナーの関係の説明をこころみる