2023年11月に読んでよかった本 「『青春ヘラ』Ver.8「シティダーク/アンダーグラウンドレトロ」」「観光客の哲学」

『青春ヘラ』Ver.8「シティダーク/アンダーグラウンドレトロ」

評論と小説がいっぺんに読めてGOOD
評論は「エモ」を分析はできるけど「エモ」くはない。小説は「エモ」いけど「エモ」の分析はできない。つまり、「エモ」を公共に開きつつも、私的に閉じているのだ。両者は対立するものではなく相補するものなのだ。この両方がミソなのだ。

内容も良い。実のある政治的に正しすぎない文章を読める機会は本当に貴重だと思う。個人的には最近の潮流やトピックを扱っているのがうれしい。学生誌ならではだと思う。

テーマに関係することを言うと、わたしは地雷系ジャンルとその周辺に触れるとき、とても複雑な気持ちになる。
そのビジュアル(ファッション・自傷行為の跡・言葉選びの質感)に魅力を感じると同時に、その裏側にある問題──彼女の抱えるメンタルヘルスの問題や家庭環境の問題、ひいては社会問題にどうしても意識が向くのである。

背後の問題を無視して、そのビジュアルだけを私的な快楽のために受容していいものか。
いや、両者を結びつけること自体が自分の中にある普遍的な「正しさ」の押し付けではないか。いやいや、それは開き直りで思考停止ではないのか。

わたしは彼女らが自身の問題に彼女らなりのやり方で対処しているそのさまにたくましさや愛おしさを感じて無遠慮に愉しんでいるだけなのではないか。私的な受容だけでなく、なにか行動して公的な問題に接続すべきではないだろうか。
いや、わたしは彼女らの問題に関わりがないし、関わろうと思うことは尊大で有害な父性ではないのか。それは自己満足の極致ではないのか。

いや、彼女らのSNSへの投稿に「いいね」をつけることは、彼女らの小さいが確実に救いになっているはずだ。いやいや、その考えこそが私的な快楽で、自己欺瞞の最たるものではないか……云々。

「いいね」をタップするときこんなことを考えています。

👶キャッキャッ

観光客の哲学 増補版

2部構成になっている。
第1部は観光客の哲学と題されている。東の言う「観光客」とは、友でも敵でもない第三者のことである。昨今の社会情勢を踏まえつつ、この第三者について考えることが大事ではないかと言っているわけである。過去の哲学者を参照しつつ第三者について考える理論の構築に取り組んでいる。

第2部は家族の哲学(導入)と題されている。東は、公共性を担う連帯の基礎として家族(的なもの)が適格と考えている。ただし、そのままの家族ではだめで、その概念を脱構築して「家族的なもの」として発展させようとしている。導入とあるように、本書ではその問題設定の意味合いが強く、その成果は6年後に発表された『訂正可能性の哲学』で、訂正可能性という言葉で順当に発展しているようにおもう。
増補版とつく通り、コロナ禍を経ての文章が追加されている。「観光客」と「家族」について考えることは、より実際的な意味を持つようにおもう。

面白いのは第2部で、ドストエフスキーの読解に1章あてられていることである。先の「エモ」と同じく、小説(文学)は時に理屈(哲学)の言葉よりもずっと深く物事を説明してくれる。どちらか一方ではダメで、両方あることで概念をより深く、多角的に理解することができるのだ。
(ちなみに『訂正可能性の哲学』でもルソーの『新エロイーズ』の読解にまるまる1章あてられている。)

内容についての自分なりの考えは、他の批評家の論を参照しつつ別でまとめたい。考えはたくさんあるけど書こうとするとうまくまとまらない。あると思います。


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