見出し画像

【意訳】ティノ・セーガル:物質的に存在しない作品をどうやって買うのか?

How Does a Museum Buy an Artwork That Doesn’t Physically Exist?

By Zoë Lescaze
Nov. 8, 2018

※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。
Source: https://www.nytimes.com/2018/11/08/t-magazine/tino-sehgal-hirshhorn-museum-art.html

アーティストのティノ・セーガルは、世界はすでに充分な量のモノで溢れていると考えている。彼のアート作品は人を巻き込む非物質的なもので、その作品販売は全て口頭で行われる。
セーガルは領収書を出さない。彼は自分の作品が写真や映像として記録されることを了承しないし、参加した展示のカタログや壁面の表記にも登場しない。実際、彼は販売時に伝える作品の発表方法や管理方法についても、筆記などのいかなる形式の記録も意図的に避けている。セーガルは自分の作品を “構築された状況” と呼ぶが、その作品には通常、セーガルから特殊な行為を演じるための特訓を受けた “プレイヤー” と “参加者”がいる。

2005年のヴェネチア・ビエンナーレでは “ This Is So Contemporary ” (これはとても現代的) というタイトルの作品が発表された。この作品は、警備員の格好をした参加者たちが、ドイツ・パビリオンにやってきた鑑賞者の周りを飛び跳ねながら “あ~、これはとても現代的、現代的、現代的~!”と唱和したあとでスッと整然とした姿勢に戻る、というものである。

2010年のグッゲンハイム美術館での展示では“ This Progress ”(この前進)が発表された。これは高齢の通訳が来館者を美術館の螺旋状の通路を上まで案内する間に自由に会話をおこなう、というもので、その会話は鑑賞者に自分の考える“前進”の定義を尋ねることから始まる。

彼の最も有名な作品は2002年の “Kiss” だ。
その作品は、オーギュスト・ロダンやジェフ・クーンズといった美術史上の作品における印象的な抱擁を、展示空間の床の上で男女が転がりながら再現するものだ。

物質的に存在せず、現代の法規の外側に存在する作品でありながら、セーガルは自分の作品を販売している。そしてしばしば大金を稼いでいるのだ。彼の販売する“状況”、というよりも上演権は通常で数百万円のエディションとして購入され、セーガルのNYでの取扱ギャラリーであるマリアン・グッドマンの代表者、公証人、購入者の立会いのもとで行われる口頭の契約によってのみ入手することができる。そこには基本的にセーガル、もしくは彼のスタジオのメンバーも立ち会うことになっている。
書面での契約は行われず、販売代金の請求書と本物証明書が交換されることになるが、この取引はさらに複雑になる可能性もある。セーガルはベルリン在住で、二酸化炭素排出量を抑えるために海を超えるような旅行にはめったに出ないからだ。

42歳のセーガルは、コンセプトおよびその解説の為の用語集に至るまで、控えめに言っても自分の作品に対して執拗なまでにこだわっている。
彼の実践はパフォーマンスアートの伝統に沿ったものよりも、劇場で行われる演技を必要とするものが多くなってきており、(彼の作品のプレイヤーの多くはプロの役者である)実際にはアート・ワールドの中で、あらゆる上演形式の実験行為をおこなっていると言える。

また、ソル・ルイットが主張する “その手のアート作品はおざなりに遂行されるものである” という発言に従うならば、厳密にいうとセーガルの作品はコンセプチュアルアートではない。キュレーター、コレクター、他のアーティストたちが彼のために敬意をもって行動してくれるセーガルというアーティストは本当に特殊なのだ。

この記事のためのインタビューのなかでセーガルは、ちょっとしたパニックに陥ったある美術館で、セーガルの作品に対して誤って使用されている“パフォーマンス”という言葉を訂正する内部指令が出された、という話をしてくれた。(セーガルは、パフォーマンスとは自分の作品よりもっと儚く、もっとパフォーマーと観衆の間に壁がある作品を指すことばだ、と考えているからである。)

その従業員はこう書いている。“私はティノを苛立たせるようなこの間違いを嫌います。これは少し深刻な問題ではないでしょうか。”
セーガルと頻繁にコラボをするアーティスト:アサド・ラザは、セーガル作品を購入する際のプロセスについて、“購入者に対する一種のセラピーに近い”と表現する。それは拝金主義的なアートワールドの作法と完全に異なるものであり、美術館やコレクターが型破りなパフォーマンス作品やコンセプチュアルアートを購入する場合とも異質なのである。

2017年の8月、スミソニアン協会が運営するワシントンDCの ハーシュホーン博物館と彫刻の庭 は、初めてとなる体験・上演型のアート作品を購入することをアナウンスした。それがセーガルの2006年の作品、“This You”である。この作品は勤労感謝の日の週末を含めて6週間公開された。
この作品は女性歌手が美術館の屋外空間に立ち、来訪者個々人に対して彼女自身の選んだ曲を歌う、というものだ。(その選曲は彼女が来訪者にどんな印象を受けたかによる。)

この世にはただ握手を交わしただけで、何の証明が無くとも数百万円を支払うことのできる裕福な個人が確かに存在する。
だがセーガルが要求する購入プロセスは、各種機関、とくにハーシュホーンの様に政府から資金援助を受けている機関なら思わずひるんでしまう類のものである。
政府が所有する美術館が、書面記録なしに何かを買うなんて可能なのか?また、作品の保存管理者達はどうやって存在しない作品を後世に残すのか?

セーガルは1976年のロンドン生まれで、ドイツ人とインド人の両親を持つ。彼はこの20年において最も重要なアーティストの一人として頭角を現してきた。彼の作品には偶然性と注意深い振り付け、哲学とふざけたユーモアが混ぜ合わされている。その作品は鑑賞者を受動的な傍観者ではなく重要な参加者へと変えてしまう世界をつくりだす。
セーガルが生み出す状況の多くは、グッゲンハイム美術館の構造やアート・バーゼルの通路まで、特定の環境に合わせてデザインされている。2012年のテート・モダンでの作品“Turbine Hall”では、70人もの参加者が振り付けされたアクションを行い、時折美術館の来訪者にとても個人的な話を始めるものであった。例えばイギリスに移住したある人物が、7年後に名もなき故郷に帰郷したときの事を号泣しながら語る、などである。

ジョン・バルデッサリジョセフ・コスースといった 、何かをつくることよりもアートの意味に関して興味を持っていた非物質的なアートの先人達とは異なり、セーガルはマルクス主義者的なアートマーケットに対する批評として物質性を排除しているのではない。
実態が無いままで存在するアート作品の可能性を探求することに比べれば、商業的な取引を歪めることへの興味は無いに等しい。
“私の仕事において核となっているのは実験です。物質的なものを作らずに、それでも何かを生み出しているとき、一体何か起きるのか?それを観るための実験なのです。”セーガルはそんなメールをベルリンから送ってくれた。

Tino Sehgal photographed in New York City in April, 2018.CreditAn Rong Xu for The New York Times

セーガルのつくった “状況” を買うという行為は養子を迎えることに似ている。作品と生涯を通じた関係を持つことになるし、それを残していくためには継続的なケアが必要となるからだ。その作品は絵画のようにダメージを受けることはないが、作品に関係した数人はその作品を活かし続ける責任を負う必要がある。
劣化するとしても半世紀は倉庫の中に置いておけるブロンズ作品とは異なり、セーガルの作品は積極的に思い出される必要がある。彼はこう書いている。

“もし20年の間にわたしの作品が完全に忘れられてしまったら、作品を具現化する人も稽古をつける人も居なくなるため、作品は明確に劣化します。つまり、物質的な作品と上演作品の両方にリスクはあるのです。単にリスクの種類が違うだけに過ぎません。”
ハーシュホーンは購入した “This You” のために、3人のスタッフを管理者として選定している。そのうちの一人、34歳のブリアナ・フェストン・ブルネットは当美術館の変動型作品・時間芸術を担当する作品管理人である。彼女は、この作品に対する責任を誰が負うことになるのかを決定するために行われた長い議論について説明してくれた。
そして彼女は今、この地球上で作品の内容を記憶している僅かな人間のひとりとなっている。

この作品購入プロセスは、美術館の法律顧問に電話を掛けることから始まった。そしてフェストン・ブルネットは協会の弁護士のひとりに対して、物質的に存在しないだけでなく契約書も交わさないこの作品の購入を検討していることを説明した。
だが思いがけず、この作品の所蔵は通常よりも迅速に行なわれることになった。ハーシュホーンで作品を購入する際は通常2年ほどの時間が掛かるのだが、“This You” 購入の承認と資金調達はたった1年以内でおこなわれたのだ。美術館の対応の速さの一因として、2018年の春にセーガルがヨーロッパからNYに旅行に来た、という貴重な機会も影響している。

”This You” の購入におけるクライマックスは役員会議だった。
“その会議はとても実りのあるものでした。” そう語るのはハーシュホーンのメディア・パフォーマンス部門のキュレーター、マーク・ビースリーである。彼は実際に作品を買うとしたらその実在しない作品のために美術館が何を準備すべきかを想像し、議論した事を振り返った。

ある晴れた5月、マンハッタンの西側にある来年開館予定のアートセンター : the Shed の近くで全員が集合した。メンバーは、セーガルと2人の彼のスタジオスタッフ、マリアン・グッドマンギャラリーのディレクターであるローズ・ロード、ハーシュホーンの職員達(ディレクターのメリッサ・チウ、ビースリー、フェストン・ブルネット、アシスタントキュレーターのベッツィー・ジョンソン)と公証人として出席した美術館側の弁護士である。
セーガルは the Shed のこけら落としとなるフェスティバル “A Prelude to the Shed”(ザ・シェッドのための前奏曲)の共同キュレーターとして、そしてそこで作品をひとつ発表するためにこの街に来ていたのだ。

そこで発表される“状況”は真っ暗な部屋でダンスをするという作品で、屋外で展開される “This You” の屋内版といった趣きである。
彼らは作品の最短公上演期間は4週間であること、また貸し出しや転売の方法(それは同様に購入しようとする者との口頭契約となる)などについて語り、口頭での契約を交わした。全員が諸条件について議論した後、セーガルは契約内容を読み上げ、チウとロードは握手を交わした。

数世紀の間に、美術館が所蔵してきたアートも変化している。だがその購入プロセスはそこまで変わっていない。レディメイド作品のバイシクル・ホイールも、大理石でできたマリア像と同じ方法で価格が付く。
パフォーマンスやコンセプチュアルな実践は、そのあり方を爆発的に拡張した。ギャラリーは物質的な作品の代わりにアイデアや経験を保管するようになったし、作家のへそ曲がり具合によって様々な方法が取られる。アートの商品化に対する見事なまでの拒絶もあれば、アーティストが美術館やコレクターやディーラーにアピールするための、凝りに凝ったチキンレースも存在する。

表面上はほとんど資本主義の向こう側の存在に見えるが、これらの20世紀の販売不可能な作品は実際にはしっかりと販売されてきたし、買い手もその取引と資産価値を証明する物質的な何かを手にする事ができた。イヴ・クラインの1950年代後期の“Zones of Immaterial Pictorial Sensibility”(非物質的な絵画的感性の領域)は、金を投げ入れるための何もない土地にコレクターがお金を払うというもので、取引時には証明書を手にする事ができた。
ロバート・バリーの“Closed Gallery”(閉店中のギャラリー)には、展示の会期中3つの都市のギャラリーが閉めっぱなしになります、という報告のDMが含まれている。アーティストのパトロンはこの作品の3つのオリジナルの招待状に250ドルを払っている。

10年前、美術館のディレクターやキュレーターたちは理事会員や役人達にセーガル作品の購入計画を伝える時には覚悟を決める必要があった。(MoMAのディレクター、グレン・D・ロウリーは “Kiss” の購入について、この美術館の歴史上、最も難しく苦心した所蔵プロセスのひとつと表現した。)
もっとも、“This You” の取得はこの手の作品としては比較的簡単だった。もはや規範となったセーガルの名声がその問題を軽くしてくれたのだ。彼の作品はすでに世界中の美術館に所蔵されているのである。

だが、その作品は議論を呼ぶことでも有名だ。まじめな文化資産管理者にとって、管理実施要領、記録、書類作成などは資産管理の基本だからだ。
この指示書の無い、刻々と変化する儚い作品の購入は、セーガルの名声が高まることによって10年前に比べると簡単になっている。
そして本質的にモノを所有するということは、我々の生活において主流ではなくなってきている。

“以前の我々は何かを買えばそれを所有できるものと考えていましたが、例えば我々がスマホを買った後でも販売者はそれをアップデートしてきます。つまり、買ったとしても未だに我々のものでは無いのです!”とチウは語る。彼女はこれを“とても21世紀的なアイデア”だと言う。資産が非物質的になっている現代では、お金は物質的なモノよりも投資やクレジットと結びついており、シーゲルの作品はそのハイリスクな取引のメタファーの様にも感じるが、同時に握手と相互の信頼によって成り立つ、契約書の存在しない古いタイプの交換の様でもある。

彼のアクションは、我々の現代の文化と時代錯誤なやり方、両方をほぼ最新の状態で記録しているのだ。
彼の作品販売は、アートが変化し続け、次のレベルの不可解さに突入することを美術館が後押しする為のヒントを教えてくれる。だが実際にはそんなつもりはないのかも知れない。セーガルは私へのメールの中で、自分の実践は無頓着におこなわれている、と語ってくれた。
“実際には極めてシンプルな作品なんですよ。”

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?