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いい道愛好者とその独自のあり方 2024/02/08の日記

肩が痛い。が、スマホとパソコンの見過ぎが理由なのは明白。こんな生活、もうやめたい。

昨日は労働があり、今日は休みだった。しかし明日も労働がある。起きた瞬間にそのことを自覚して精神がきしんだ音を出しているのが、私には明確に聞こえた。

なんで労働なんてしなくちゃいけないんだろう(1日ぶり二回目)。しかし、こんなことばかり言っていると「Twitterで知り合った友達が就職して仕事の悪口しか言わなくなった」的な言説に組み込まれてしまうかもしれないのでやめようかな。そんなのは無根拠なスティグマだ、好きに書けばいいという意見もあるだろうけど、私はスティグマを内面化することでしか生きていけないつまらない人間なので粛々とやめよう。

そういえば、スティグマを内面化することはよくない、という言い方が逆にスティグマになることはないのかな。内面化しがちな側としてはスティグマを内面化することで良くも悪くもようやく精神の安寧を得ている人もいるだろうに、という気持ちになってしまうのだが、そのあたりはもう既に言われているのだろうか。私は社会科学のことを全く知らない。


肩が痛いので運動をした、といっても歩くだけだが。運動をした結果、肩の痛みは取れなかったけど、歩いている間はたまに労働のことを忘れることができた。あと思い立って適当に歩いていただけなので、普段の行動範囲からは考えられないぐらい遠くまで来てしまった。

近所の名所みたいなのを目指して歩いたんだけど、そういうふんわりした目的だと特に考えることなく行ってしまうので本当にヤバいな。なんでなんのトラブルもなかったんだろう。運がいい。

歩きながら最近見ているウスイという配信者のことについて考えていた。インターネットのスティグマに引き続き私は好きな配信者のことについても内面化しがちなので、それに卑近する物事と関わっているとついその人になりきって行動をしがちであり、今日も住宅街の裏山に続く階段を見て、いい道だ…とか言っていた。普通に中学生みたいで可愛いと思う。

しかしまあ、ウスイ氏の批評性の高さについてはもっと知られるべきだろう。彼の旅動画はただ道(特に隧道や橋梁といった構造物)の良さについて語るのが主だった内容であるのだが、単にそれだけではない。彼のスタイルとして徹底して行われているのは町並みや道路構造物を目的的に物語化することや、あるいは政治化されたオリエンタリズム的観点を持つことを避け、とにかく道とその諸過程をただ見せるということにある。

また、彼の性分としての人嫌いもその中に加わるだろう。それは、あるインフラストラクチャーの歴史的な文脈も、機能的な要素も、端的に自身が鑑賞し、利用するといった(ポジティブな意味で)エゴイスティックなものとして措定するだけでなく、他者の実存の尊重のために行われる方法的な無関心の可能性である。

例えば最近、長らく指名手配されていた元アナキスト活動家の方の住居と思わしき邸宅について、ある街歩きアカウントが「こんな場所に暮らさざるを得ない人生」といったネガティブな表現を用いたことが話題として取り沙汰されていた。これは他者に対する自覚のない無関心によるものであって、このような道歩きを専門とするアカウントとは思い難い表現である。しかしウスイ氏にはそういった傾向はそもそもない。なぜなら、そもそも自分の欲望そのものを満たす上では、そのようなポジショントークはどうでもいいことだからだ。

私はウスイ氏のそういったアナーキー、というかシュティルナー的な傾向は非常に評価している。ある風景に付随する歴史やインフラを不用意な情緒や心配から切り離すだけでなく、同時に利己主義において他者との利益は激しく均衡することはないことを表明している。またそれと同時に、そのように自覚的なものであれば、表面的に脱政治化されたものが必ずしも「無思想」的な危険に陥ることはないということさえも暗示しているように私は思う。それを言うと意味がないので本人は絶対に言わないが。

そういうわけでかなり恣意的な読みを加えてはいるものの、私は思想的なモデルとしてはかなりウスイ氏を尊敬している。とはいえもう既にこういうところで論じている時点でそれは不可能なので、もう諦めているようなものだけど。

あとそれとは別に、ウスイ氏はバーチャルいいゲーマーという名前でVTuberもしているので、そっちも見て欲しい。こっちは彼の本来の肩書であるbiim派RTA走者として、あるいはゲーマーとしての要素がそれなりに含まれた動画群がいっぱいあって楽しいが、しかしそれ以上に彼の特徴、それもVTuberのプロモーションとしてはかなりネガティブに見える「人嫌い」が意趣返しとして効果的に作用している。

そんな彼の人嫌いの素晴らしさとは、今日のVTberシーンを取り巻くキャラクターとしての配信者と視聴者の間に敷かれる盲目的な疑似恋愛/友情的スキーマを見事に止揚していることにある。というより、彼の本質的な素晴らしさは、視聴者に対して自分のコンテンツを見せる以外のほとんどの交流を絶っているところにこそあると思う(例えば、MMOの視聴者参加型企画に参加した際の告知動画で「バーチャルいいゲーマーとは…絶対に交流できない!」と言い放ったり、Twitchの放送画面には自身の配信にRaidする(自分の配信の視聴者を他人の配信にそのまま送り込む)ことを勧めつつ「バーチャルいいゲーマーはRaidし返さないので後腐れがない!」といった文章を書いたりしている)。やはりこれも、他者を尊重しつつ暗に互いに利己的な共存を目的として適切に距離をおく、シュティルナー的なユートピアの可能性を彼は見せてくれていると思う。

まあそういうわけなので、見てください。散々何がいいと言っても、結局は見た上での好みなので、これ以上は何も言うことができない。各人にとってキャッチーであるかどうかは、そちらで各々判断してください。

以上。

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