あさみくん

2002年にプロテスタントの教会を訪ね、その年に洗礼を受けました。

あさみくん

2002年にプロテスタントの教会を訪ね、その年に洗礼を受けました。

最近の記事

13.私にとっての洗礼の意味

 洗礼の後、教会の既に洗礼を受けている友人から、「洗礼を受けて何か変わったと感じる?」と質問されました。  洗礼後も、それまでと同じような日常の生活であり、特別何か変わったような感じはありませんでした。「変化したとしたら何だろう?」と思い巡らせますが、すぐには思いつきません。  「あえて言うなら」という感じでしたが、ものの見方は確かに変わったような気がする、と友人には答えました。  それまでは、自分と他者であったり、自分と自分の外で起こっている出来事という風に、自分目線で周

    • 12.洗礼式当日

       洗礼の学びを終えて、8月に洗礼式当日を迎えました。  洗礼式というのは、会衆の前で、自分の罪を告白し、イエスキリストを自分の救い主として受け入れることを誓約する儀式です。    誓約の部分は、結婚式で結婚を誓うシーンをイメージされるとわかりやすいかも知れません。    洗礼式では、罪の告白と誓約に続いて、洗礼槽という湯船のようなところに水を張り、牧師が洗礼を受ける者を水に浸け、その後、起き上がらせて水から出させるという儀式を行います(「浸礼」と呼ばれるスタイルの洗礼の場合で

      • 11.洗礼への備え

         10.の記事のような経緯で「洗礼を受ける」と役員の方に伝えると、そのことはすぐに牧師先生にも伝えられました。  そして、他の教会でも同様だと思いますが、実際に洗礼式が行われるまでには、 準備の学びの機会が設けられます。  私の場合、既に聖書を学ぶ場を設けてもらっていたので、それがそのまま、洗礼のための学びの場になりました。  そこでは、洗礼が皆さんの前で自分の罪を告白し、今後は神様を信じて歩みますということを宣言する機会だ、ということを教えてもらいました。  ほかには

        • 10.信仰を持ってから洗礼を決意するまで

           9.の祈りの経験や、それまでの出来事を通じて、神様を信じてみようと思っていた私は、そのことを牧師先生に伝えました。  するとその後、教会の役員の方がニコニコしながら話しかけてきます。「洗礼を受けようよ。」  この時、素直に「では洗礼を・・・」と答られると良いのですが、私の心には、どうにもスッキリしない思いがありました。「聖書には信じれば救われる」と書かれてある、だったら洗礼を受けるというのは外見だけの話では?「自分は信じて歩めればそれで良いんだ。」そんな思いが強く私の心に

        13.私にとっての洗礼の意味

          9.祈りを経験する

           これまでの記事でご紹介したような経緯で神様を信じるようになって、牧師先生との学びもするようになり、その中でキリスト教の祈り方を教えてもらいました。  といっても、『祈るときはね。最初に「天の神様」って呼びかけて、真ん中でお願いしたいことに触れて、最後に「イエス様の御名によってお祈りします。」って付ければ良いんですよ。』という極めてアバウトな説明でした。  「おぉ!そんな簡単なものなのか。」という感じでしたが、後から考えると「難しく考えるより、まず自分で祈ってみましょうね。

          9.祈りを経験する

          8.信仰を持ったと気付いたとき

           私は教会を訪ね始めたとき、福音書が4つあるということも知らず、聖書を読み進めている内に、「あれ、似たような話が先に書いてあったような・・・??」といった具合で、今から考えると聖書のことを何も分かっていない状態でした。  そんな私でしたが、福音書に出てくる奇跡の話を読んでいる最中に、ふとしたところで、「あぁ、イエスがこのような人なのだったら、本当に奇跡を起こしていたのかも知れないな・・・」という思いが心に浮かびました。  そんな気持ちを持ったまま聖書を読み続けていると、ふ

          8.信仰を持ったと気付いたとき

          7.心の割礼

           6.の記事の出来事があって、私は、さらに熱心に聖書を読むようになり、聖書の語る神様の言葉を受け取りたいと思うようになりました。教会でも個人的に聖書の学びの時間を取って下さり、色んなお話を聞くことができました。  これまでの自分は何かとても大切なことを見逃し続けてきたのではないか、この聖書の中で神様が語ろうとする声を聞いてみたいという想いで聖書の言葉を読むとき、一つ一つの言葉の中に、新たな発見をたくさんして、とても楽しい時間でした。  「この新しい価値感に従って人生をもう一度

          7.心の割礼

          6.目の見えないご夫妻の讃美

           私が教会を訪ねたのは、3.で紹介したように仕事をクビになったことがきっかけでしたが、教会を初めて訪ねたときに牧師先生から御言葉を開きながら掛けて頂いた言葉が印象に残り、ほのかな希望を見い出すことができました。    行き場を失い、途方に暮れている今の自分を受け入れてくれる存在、そして、頼ることのできる存在があるのかも知れないと感じ、目の前の現実に押しつぶされそうな中で、私は教会にすがるような想いで過ごしていました。  そんな折り、イースターの礼拝が行われ、週報に引退された

          6.目の見えないご夫妻の讃美

          5.初めての礼拝と誰かの祈り

           牧師先生のお誘いを受けて、初めて礼拝に出席すると、先生は礼拝の中で、私のことを「聖歌隊の讃美を聞いて教会に来てくれた方」と紹介して下さいました。  きっと失業した人、と紹介するのはマズいと思われたからなのでしょう。  それでも、特に聖歌隊の皆さんは、「神様に向かって讃美を歌ったことで、神様が応えられた!」と言って、とても喜んで下さっていました。  また、その後に教会に集う人たちとお話しする中で、教会の方々から、実は「若い男性が教会に導かれるように。」というお祈りを続けて

          5.初めての礼拝と誰かの祈り

          4.初めての聖書の御言葉

           (3.から続く)さて、意を決して教会を訪ねた私でしたが、牧師先生の前にし、何からお話ししたものか・・・。  とりあえず、話を取り繕うために自分が大学生のときに、男声合唱団で歌っていたこと、ヘンデルのメサイアもクリスマスに歌ったことがあること、前の年のクリスマスに教会の皆さんが歌っている姿を見たことなどを話して場をつなぎました。  牧師先生は、あくまでリラックスさせる雰囲気を造ってくれていたので、そんなことをしばらく話しましたが、次第に自分でも、「そんなことを話に来たわけで

          4.初めての聖書の御言葉

          3.牧師先生との出会い

           30歳になるまで、司法試験に合格できず定職にも就かないまま過ごした後、私は両親から「もはや支援はできない」と告げられました。私自身も、いつまでもこのような生活を続けることはできないと感じていたので、就職先を探すことにしました。  幸い知人の紹介で専門学校で就職させて頂くことができ、数ヶ月たって仕事に面白さも感じるようになっていた矢先、私は職場から、しばらくの猶予期間の後に辞めるように、と告げられました。  後に振り返ってみると、自分自身に仕事に対する考え方の甘さや、社会

          3.牧師先生との出会い

          2.教会に行くきっかけとなった讃美歌

           私は、初めて教会を訪ねる前年のクリスマスの夜に、ある教会の建物のそばを通りました。  その夜、私は教会の隣の本屋さんで立ち読みした後、自転車に乗って家に帰ろうとしていました。  とても寒い夜で、辺りには雪が降り続けています。「明日は積もりそうだな」と思いながら自転車に乗っていると、前から讃美歌が聞こえてきました。  「今日はクリスマスか・・・。」その歌声が聞こえるまでクリスマスだということも忘れていましたが、私は、大学生の時に男声合唱団に入っており、同じように雪の中で合唱を

          2.教会に行くきっかけとなった讃美歌

          1.教会への招き

           私は、現在弁護士をしています。弁護士になるためには、司法試験に合格しなければいけませんが、私は合格までに何度も試験に落ちました。  司法試験に受かるためには、法律の解釈に関わる様々な論点を学び、論点に対し、結論と理由付けを把握しておく必要があります。  そうした論点を学べば学ぶほど、どちらの主張にも一理あり、決め手のなさを感じていました。  そして、不合格の経験を繰り返していく内に、それまで持っていた自信もどんどん失われていき、自分自身の存在についても、頼りなく感じていまし

          1.教会への招き

          0.証(あかし)って何?

           キリスト教会では、聖書の言葉から人生が変えられた経験や神様からの働きかけの経験のことを証(あかし)と呼んでいます。  これから私のこれまでの歩みの中での「証」を紹介していきます。  イエスキリストは2000年前に生きた人物であり、一見すると現代に生きる人とは、無関係な存在に思えるかも知れません。私自身も30歳になるまでは、自分に関係のある存在とは、全く思っていませんでした。  ところが、私は本文で紹介させていただくように、不思議な形で教会へと導かれ、その中で大きく力づけられ

          0.証(あかし)って何?