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人生で一番長くとどまった場所を去ることにした

新卒で入社した会社で、8度目の春を迎えようとしていた頃、人知れず大きな決断をした。人知れず?人に知らせず?どちらにしても、なんというか、しっとりと自分の中だけで決めた。

よし、会社を辞めよう。

これまでも何度か辞めたいと思ったことはあったけれど、その都度理由をつけてはそのまま続けてきた。仕事が忙しいことにも、ややこしい人間関係にも、人並みに疲れたことはあったけど、辞めたところでやりたいことがあるわけでもないからな〜と、なんとなく現状維持。

でも、なんか今回は本気だった。

それはたぶん年齢的なことが大きくて、30歳が目の前に迫ってきた今、環境を変えたい、と心理的にもフィジカル的にも感じた。

考えてみると、こんなに長くひとつの社会的組織で過ごしたことはこれまでない。小学校でも6年間だし、その後に至っては、3年、3年、4年。それくらいの感覚で所属を変えてきたのだから、環境を変えたいと思ってもおかしくはない、と自分に言い聞かせている。

半人前であることは重々承知しているけれど、7年勤めると、右も左も後ろも前もだいたいのことはわかってしまった。わかった気になることやわかっているような口をきくことは好きじゃないのに、それでもなんか新しい何かが見えて来なくなって、わかっていることで囲まれた日々を過ごしている感覚が拭えないのだ。この手の仕事はこうすればいいとか、今後やってくる新しい仕事もだいたい予測がつく、とか。

もちろん、もっと突き詰めてプロフェッショナルになることに意義や成長があるとも思う。そこの境地にいかなければわからないこと、経験できないことは100%ある。でも、今の仕事でそこの境地にいきたいかと問われると、正直YESとは言えなかった。山登りの途中で周りにそびえたつ別の山々を見て、なんかあっちの山登りのほうが楽しそうだなと思った。そう思いながら重い足取りで登り続けることは、時間の無駄になりはしないか、もっと上にいくと後戻りができなくならないか。そういう類の不安がまとわりつくのが鬱陶しくて、一旦下山。山を変えてみる。そんな感じ。


今までやってきた仕事が嫌になったわけではない。むしろ、その分野を違う角度から経験してみることに興味があった。例えば洋服が好きで、ファッション誌の出版社に勤めていたとすると、そこでは編集者にはなれるけど、ファッションデザイナーにはなれない。編集者としていろんなブランドと仕事ができるし、流行の情報はいち早くゲットできるけど、ブランドの中の人として洋服を生み出していくことはできない。そこにもどかしさを感じた編集者側の人間、そんな感じ。


30代では自分を形作る何かを見つけていきたいし、そこに対していろんな意見や考えを持って、実践して、語れる人になりたい。すでに世の中にある仕組みや概念に視点を加えて新しい何かを作りたいし、それでハッピーになる人が一人でもいたら嬉しいと思う。

右も左もわからない環境にいくのは実に7年ぶり。緊張するけど、頭でっかちにならずに、五感をフルに使って吸収して、加工して、アウトプットしたい。


最後に、会社の先輩からもらった一言を。

私が会社を辞めることで、少なからず先輩にも影響があるだろう。しかもこんな個人的な決断をしてしまって、先輩には申し訳ないなと思いながら報告したときのこと。

「**さんの人生だから。全く気にしないでいいよ」

自分が自分の人生を生きていることには普段なかなか自覚的になれないけれど、こうして人から気づかされることがたまにある。広い心で受け入れてくれたのが本当にありがたいし、自分の責任で道を選んだということに改めて気づけてよかったと思う。

海外ドラマや映画でよくある”This is my life!” と叫ぶ(訴える?)シーン。

まさに今、両手を広げて叫びたい。

This is my life!!!

そんな感じ。


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