【後編】意外と波乱万丈な半生をちょっと振り返ってみる~人生、意外と何とかなるものです~
前編・中編に続き、「割と波乱万丈なのでは?」と思った私の半生を書いていきます。生きていたら色々ありますが、「人生、意外と何とかなる」ことを伝えたいです。
3.22~25歳頃
1)父の失踪と借金の発覚
はてさて、これまで謎ムーブだった私の父ですが、ここにきて失踪しました。
私が大学四回生になった年のことです。
元々たまにしか帰ってこなかった父なので、すぐさま連絡が取れないことに関してそこまで深刻には感じていませんでした。
ただ、完全な音信不通というのは、さすがに異常事態です。
しかし、失踪届を出すと帰りにくくなると考えた母は、しばらく様子見することにしました。
そんな中、クレジットカード会社から連絡が来ました。
「不正利用されていませんか?」
音信不通になった父が、母の口座から引き落としをするクレジットカードでブランドモノをしこたま買っていたことが判明しました。
たぶん、現金化するために買いこんだのでしょう。
そして、支払いはこちらに押し付けてきたわけです。
ここに来て発覚したのは、父が事業に失敗していたこと。加えて、子ども名義の口座や家の貯金にまで手をつけていたこと。
果ては、父が事業やら何やらのために必要だと、母名義で作らせた借金が残りました。もちろん、お金は母の手元にはありません。その日のうちに父が持ち去り、そのままになっていたとのことです。
「裏切るとは思わなかった」
「家族だから助けなきゃと思った」
「お金が必要なら、一時的な借金でも仕方がないと思った」
母の言い分はこのようなものでした。
子どもがいて、妻がいて、それでも何もかも捨てて逃げるだなんて思わなかったのでしょう。
それどころか、自分たちの貯金まで持ち逃げするだなんて想像もつかなかったはずです。
間違ったことはしていないと思います。
ただ、「俺のためにお前の名義で金を借りてこい」という人間は確実にクズだと思うので、みなさんは絶対逃れてほしいですね!!
私も我が父ながら人でなしすぎて、言葉もありません。
(あとついでに「事実は小説より奇なり」すぎて、ちょっと面白くなってきたところでした。だってこれ、一本くらい映画が作れそうな気がしますもの)
こうして父がいなくなり、お金まで失った生活がスタートしました。
2)進学を断念してフリーターへ
大学まで進んでいて何を言っているんだという感じではありますが、当時の私は心理学を学んでいたので大学院への進学を考えていました。
しかし、前述の通り、進学費用どころか受験費用もありません。
母がもともと働いていたとはいえ、私の下には三人の弟妹がいて、その子たちはまだ学生。一番下の子に関しては、まだ中学生でした。
働くしかあるめえ。
というわけで、進学関連の話はシカトして、いわゆるフリーターとなりました。そんなフリーター時代の面白クレーマー話をまとめているので、興味がある方はぜひ。
階段転落事件しかり、嫌なことこそネタにして楽しむ切り抜けるというのが私の生き方です。
そうでもしないと、やってらんねえぜ☆という気持ちですね!
3)警察からのお問い合わせ
さて、いよいよ本格的に音信不通となった父ですが、ここにきて母がやっと失踪届を提出しました。
このあたりで既にいっぱいいっぱいだったのですが、しばらくしてから警察から電話が来ました。
見つかったのかな、と思ったものの、まさかのひとことでした。
「事件に巻き込まれていませんか。戸籍を確認してください」
どういうことやねん???
私も母も「???」しかありません。
しかし、嫌な予感はしていました。
結論から言いますと、父が勝手に離婚届を出していたわけです。挙句に戸籍には子どもしかいない状態になっていて、「これ受理した方がおかしいのでは?」という気持ちになりました。
問題はここから。
苗字が変わると怪しまれると思ったのか独立した戸籍になっていた母と、未成年者を含めて子どもだけになっていた戸籍を統合しないといけません。
しかし、この統合のためには家庭裁判所への申請が必要でした。
勝手に戸籍を分離しておいて、統合するときは手続きしろって何やねん?
という気持ちになりつつも、散々家庭裁判所に通いました。
4)父、金の無心にくる
そんなこんなで「クソオヤジが」と思っていたところ、職場の駐車場でとある男が近付いてきました。
そいつは私の後ろで立ち止まり、こう言ってきたのです。
「久し振りやな、お父さんやで」
クソオヤジ再来でした。
こんなセリフ、ドラマか映画でしか聞いてことありませんよね。
だって「父だ」と名乗るシチュエーションがないですもん。
こんにちは赤ちゃん くらいではないでしょうか。あれはママか。
そして父はしれっと言いました。
「病気で手術が必要だから、いくらか金を貸してくれ」
家の貯金含め、ほぼ全財産を持ち逃げした男のセリフとは思えません。思わずぽかんとした私でしたが、聞きたいことがありました。
「何の病気?」
確かに父は痩せていました。
過去に大腸がんを患ったこともあります。
しかし、今になってはもう何を信じれば良いのかも分かりませんでした。
「とりあえず病気なんや」
そんな病気はねえよ。
聞き返されると思っていなかったのか、設定を練っていなかったようです。そんなことある?
そもそも必死で働いて生活費に充てている状態です。
手元に何万円もあるはずがありません。
すると父は、「もう会うこともないだろう」と宣言を残して立ち去りました。
ある意味、恐怖体験です。
その後、本当に父の姿を見ることはありませんでした。あれが、最後に見た父の姿です。
お金がないことが分かったら、途端にもう会わないだろうと父に言われた娘の気持ちを言葉にすることができません。
自分でもどういう気持ちになったのか、どういう感情だったのかを思い出すことが難しいです。
ただ不思議と、ショックよりも自分たちの生活が壊されるのではないかという恐怖の方が強かったです。
4.25~現在
1)調剤薬局へ転職、難聴発症
給料のほぼ全てを生活費に注ぎ込む日々がやっと落ち着いた頃、フリーターから脱するべく資格を取って調剤薬局に就職しました。
このときは何も考えていませんでしたが、
調剤薬局自体がブラック結構ハードな業界なんですね!
就職したからには石の上にも三年。
働くついでに知識がついてきたので、登録販売者の試験を受けたりしつつ頑張りましたが、あるときから耳鳴りが止まらなくなり、ついには左耳に聞こえていた音が飛ぶようになってきました。
慌てて耳鼻咽喉科に駆け込んだところ、検査結果はすべて正常。
医師にも「とても耳が良い。本来なら僕ら耳鼻咽喉科とは縁がないはず。原因はきっとストレスだろうから、心療内科を受診した方が良い」と言われました。
めっちゃ耳が良いんだ。すごいな私(ポジティブ)
正確な説明は覚えていませんが、聞こえている音域も小学生低学年レベルだそうです。耳めっちゃ若い。
2)立ち退き要求と引越し
さて、火事のあとに引っ越した家でしたが、
地域開発の打診を受けた大家さんから、立ち退きの依頼が届きました。
もともと高齢だった大家さん。持っている物件や土地を整理したいという狙いもあったらしいです。
次の家を見つけなければなりません。しかし、この時点で母は公務員でしたがそれなりの年齢のため、ローンが難しい……というわけで、私がローンを組み、家を手に入れることになりました。
家を買う、というのもなかなかしんどいもので、不動産やら銀行やら、やたらめったらと時間が喰われていきました……。
3)父、役所から通知がくる
心療内科は少し抵抗がある。かといってストレスの原因が仕事である以上、完全に離れることはできない。そして家の購入という大イベントの発生。
そんな形でちょっと鬱々とした気持ちになっていたところで、またも父に関連する連絡が届きました。父の失踪から約十年ぶりのことです。
連絡内容は、
生活保護の申請があったけど、実子らで支援できん?
ということでした。
役所の方には何の罪もありませんが、めちゃくちゃ腹が立ったので紙面でお返事を出しました。
過去に本人が拐帯行為をはたらいていること
当人の意思により一切の連絡を絶ち、約十年もの間、音信不通であり絶縁状態であること
成人年齢に達していない子に対する扶養含め一切の義務を放棄していたこと
こちらをつらつらと書いたわけです。妻子を放り出して財産を持ち逃げした人間を助けるつもりもその余裕もない、という意思表明でした。
どんな親でも親は親だという方もいらっしゃるかもしれません。
生活保護を受給しそうなら助けろと思う方もいるかもしれません。
しかし、この時点では父が持ち逃げした母名義の借金もありましたので、いずれにしても支援なんてできません。
その後、特に連絡はありません。結局、父がどうなったのかは分からないままです。「もう会うこともない」と背を向けたのは父の方だしな、という気持ちが強いです。
(あと、持ち逃げ分を含めた父の財産を考えると、生活保護を申請しなければならないほど貧窮しているとは思えませんでした)
4)IT企業へ転職、現在に至る
耳が良いことは分かりましたが、どうにもストレスが絶えません。というわけで、総合職としてIT企業に転職しました。
意外とイケるもんだな、という感じです。
同時期に市役所試験も受けましたが、最終面接で落ちるという残念さ加減でした。面接で落とされるのが一番辛い……。
ちなみに転職2年目に急性膵炎で緊急入院しました。
いつ退院できるのか分からなくて、そこがめっちゃ怖かったです。
というわけで、今までの人生を振り返ってみました。
まとめるのが下手なのか、ボリュームがあるのかは怪しいところですが、前編・中編・後編になったので、割と本当に波乱万丈だったのかもしれません。
人生として本当に色々とありましたが、それでも今はこうして生きていて、正社員として働き、家を手に入れ、貯金もできています。
新卒で就職できなくても、進学の計画がとん挫しても、転職を繰り返しても、「人生、意外と何とかなる」わけです。
今しんどくなっている人、辛い思いをしている人もいることでしょう。そういう状況のときは、周囲を見る余裕もないと思います。
私がまさにそういう感じでした。
しかし、小さなきっかけで人生は好転します。
本当にどうとでもなるのです。
意外と何とかなるので、頑張ったり頑張らなかったり、力を入れたら抜いたりして、自分の人生を楽しみましょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?