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ネガティブ思考の勧め

少し前に読んだ本なのですが

「身体がノーと言うとき」という本を読ませていただいて、自分の捉え方が少し変わってきました。ネガティブ思考の価値観の変容です。
カナダのガポール・マテ博士が書かれ、日本語訳で出版された本です。

彼はバンクーバー在住の医師であり、注意欠陥多動性障害をテーマにしたベストセラー「バラバラの心Scattered Mjnd」の著者。他に「子供を離さないで・どうして親が重要なのか」がある。開業医を20年以上続け、緩和ケア専門医でサイコセラピストである。バンクーバーのダウンタウン・イーストサイドにある路上生活者施設の医療スタッフも務める。また、バンクーバー・サン紙とザ・グローブアンドメイル紙に長年コラムを書いている
表紙の帯に書かれていた言葉が印象的で、
「「いやだ!」「ノー」と言わなければ、結局、身体が自分の代わりに「ノー」と言い始めるだろう」と書かれていた。患者へのインタビューを中心に書かれています。

私たち日本人はノーと言わないことを美徳として控えめな文化を身につけてきましたが、それを抱え込んで身体が傷ついていても、ノーと言わないことは、相手のことを考えてとか、周りの雰囲気を壊さないためにとか、自己犠牲が良いもののように捉えられてきたと思います、でもこの本を読むと、少なくとも世界中の人は同じ捉え方をしてきたということもわかります。日本人には、その感覚が少し強いだけなのかもしれません。その自己犠牲に対して、実は最後には自分の身体がノーと言って身体を守り始めると伝えています。

よく、自分を褒めることであったり、ポジティブに捉えようとする事を薦められたりしていますが、それも悪くわないのですが、この本の中では、ポジティブに捉えようとする、その根本には、自分には現実に対処するだけの力がないという無意識の思い込みを抱えているからだということを思い知ることになるようですね。厳しいですよね

子供時代の不安はこの思い込みに支配されることで生じるようです、もちろん育成者がそばにいないとできないことだらけなので、そうなることは仕方ないとは思います。
ネガティブ思考はリアリズムを装った暗くて悲観的な考えではなくて、実は何が上手くいっていないか考えてみようという姿勢だと書いています。

ネガティブ思考 = 上手くいっていないことを考える姿勢

例えば
身体のバランスを乱しているのはなんだろう?
私は何をないがしろにしてきたのだろう?
私の身体は何に対してノーと言っているのだろう?

このような問いかけをしない限り、バランスを崩しているストレスはいつまでたっても隠れたままなのだそうです。

隠れたままなのか!
そして、こうした問いかけをしないことがストレスの原因になると言ってます。

自分の置かれた状況に関する重要な情報が欠けていることは大きな原因の一つになるようですね。

うわぁ、それを見つめるのは1人ではなかなか厳しいと思います、できる人もいるかもしれないけど、ガイドする方がいた方がいいように感じます。

ストレスは他人に頼らず自律的なコントロールができるようになるにつれて減っていくものだということもあげられていました。

ますます、一人では大変そうですね

人との力関係に左右されやすい傾向がある人
罪の意識や愛情への飢えに動かされてしまう
成功への渇望につき動かれている人
上司に対する脅えに何も言えない人
退屈への恐怖に突き動かされていたりする人
これでは自律的にはなれそうにありません

その理由は、何かに突き動かされている限り、自律はあり得ない、そういう人は風の中を舞う落ち葉のように自分より強大な力にコントロールされているからだ。
たとえその人が、自らストレスの多いライフスタイルを選び、そうした日常に、満足したとしても、そこには自発的な意思は働いていない。
その人は相変わらずノーと言うことはできない。
自分の衝動に対してさえノーと言うことができない。

自分より強大な力にコントロールされているとは

生まれてから私たちは育成者の価値観の中で育っていきます。また、私たちは義務教育の中で、覚える事をかなり中心的に学んできたという経験があります。採点性のテストで高得点を取る事で成績を評価されてきました。答えがあることが当たり前でした。わからないことは周りの大人に聞く、質問をしたら先生から答えがある、本を読めばそこに答えはある。これでは疑問に思ったら考えたり、その疑問に対して深く感じない感覚に慣れてきました。
身体が感じていることは無視されて、疑問を感じることは不必要なことのようになってきてたのではないのでしょうか。


同じ方向に向かって机を並べ、一方向からの一方的な教えを学ぶことを習慣化してきたのではないでしょうか


これも必要なことだとは思うのですが、それが当たり前になってしまうと、受け取る事、受け身である事が当たり前になり、感じる事、考える事がストップしてしまってないですか。

親から、先生から、大人から受け継がれた、価値観、やり方や思考が子供たちの心をノーと言わせないようになってきていると思うのです。

こんなに叱ってるのはあなたの為よ
こうすることがあなたにとって一番いいことなの
子供は黙ってなさい、大人のすることだから
新参者がなにを偉そうに
わかってもないのに偉そうな口をきくな

その狭間で、私たちは、子供たちは、苦しんでいると思うのです。子供達だけでなく大人になっても、おかしいなと感じたりすることは、確かにあると思うのですが、何かおかしい?と思ってもそこに正当性を勝手に感じ取って、自分の言いたいことにストップをかけてしまうような経験はありませんか

その自分より大きな力、強大な力にコントロールされてノーと言えてないことにさえも、気がついていないのだと書いています。

それが自分からノーと言えてないと、身体がノーと言い始めるというのです。ちょっと怖いですよね

このマテ博士は緩和ケア専門医なので、その体験からこの本を書かれているのですが、もうお薬ではどうしようもない患者さんに対してお話を聴かせていただきながら、緩和ケアをされている臨床を、具体的にあげながら、その原因となった体へのダメージとなったものは、なにだったのかを書かれています。

もちろん私にも両親がいてその価値観や、地域性などが影響し、私にも何かノーと言えないものがあるのではないかと思います。周りに気を使って上司にノーと言えずため込んで、トラウマになった経験もあるのです。

だから、自分がノーといえることで、どうすることが一番自分にとって生きている実感が湧くのかを教えていただいたこともありました。それは一人で気がつかず、「少し変わったようだね」「こんなことができるようになったんだね」という気づきの言葉で、自分の今に気づくことの大切さを知りました。

それと同時に、「苦しみは、それ自体が最高の悟りだ」というブッタの言葉に出会えたことで、自分のネガティブな思考と向き合う勇気は悪くないと感じられたのだと思います。

必ず、ご自分のいいタイミングが、あると思うのです。

無理をせずに、ご自分のタイミングで、ネガティブ思考と向きあってみるのもいいのかもですね







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