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2008年~2014年頃における私の中国史に関するwikipedia活動について

こちらの続きになります。ただし、単独でも読むことができる内容です。

 私は、この時期に小説を書くことをやめ、話だけを書く楽しみのための漫画原作のシナリオ作成に取り組んでいます。
 先人の知識と私が調べたことがこのまま廃れてしまうのは惜しいと考えたこともあって、その内容をネット上に書き込んで、残した上で、読んで欲しいと考えました。
 そのため、誰かに役立ててもらうためもあってwikipedia項目の作成と改変に取り組んでいます。

小説の投稿を終えて

 私が小説の投稿を終えたのは以前、書いていたように2006年のことです。それからは、小説を投稿することをやめて、心残りとなっていた小説を書きあげるだけにしています。

 途中、かつての2ちゃんねるにおいて、2006年に「中国英雄板」ができて、2006年と2007年はその書き込みやスレッドの読むことを楽しんでいました。
 しかし、以前、書いていた通り、すぐに廃れてしまい、荒らしが横行し、書き込みが激減しています。2007年には、もうどうにもならないと考え、「中国英雄板」から離れました。

 この状態について、「中国英雄板」の創作を要望し、書き込み主として存在するはずの中国史関係の大手サイト・ブログの主たちは、手をこまねているどころか、むしろ、荒らしに加わっていない方に批判を加えているように見えて失望し、中国史の大手サイト・ブログも読む気が起きなくなりました。
 水滸伝関係や中国史文学関係のサイトやブログはすぐれたものがありましたが、それを読むともう読むものがありません。

wikipedia活動に参加

 そこでまたなにか活動を行いたいと考えました。
 ただし、2008年には、漫画原作を求めているという方がいたため、漫画のシナリオを書くことに着手しています。ただ、シナリオを書いても、なかなか絵は描いてもらえないという現実に当たりました。 
 といっても、サイトやブログは他の方を見ても、もらう反応は薄く、三国志はやりたくありません。書く以上はコメントをもらうか、読んでもらいたいです。
 コメントが期待できない以上は、読んでもらうことだけを優先することにしました。

 とすると、検索を行えば必ずトップに来るサイトがいいです。Wikipediaになります。Wikipediaでは、互いの項目のリンクも張られるため、補足して調べたい知りたい時も、とても便利で、記事の内容もかなり未来まで残る可能性が高いです。

 Wikipediaとなると作成できる記事は限定されますが、幸い、長年に渡って調べた中国史に関する書籍の数々があります。盛唐時代に関すれば、一般書と概説書をほぼ網羅し、文化関係を調べていますから、専門で史学を習った人を除けば、私の知識はそれなりのものであるはずです。

 これで、私が創作活動のために調べたことが無駄にはならず、絶版となった先人の書籍を参考文献としてあげれば、完全には忘れられるということはなくなります。盛唐時代はそれなりに知られた人物が多く、創作関係ではある程度は生き続けるでしょうから。実際、楊貴妃関係の小説や映画がそれから書かれ、あるいは上映されています。

 参考文献さえあげれば、多少の間違いも編集者だけの問題ではなく、あくまで自己責任という空気も私には向いていました。間違いや知識不足を恐れず、がんがんと書き込むことが大事であると考えました。

 さっそく、編集のやり方を調べました。はじめは、IPのみで改変を行い、改変できる自信がでてきたので、アカウントを取得し、wikipedia活動に参加をはじめたのです。

まずは、人物項目の作成と改変に着手

 まず、着手したことは盛唐関係の人物項目の作成と改変です。

 人物は書くべき記事の内容がはっきりとしています。また、中国史には「列伝」という個人の伝記が中国の歴史書に残っています。最低、この概要を書いておけばいいわけです。これは、中国の歴史書の翻訳ですから、著作権の問題も発生しません。
 概説書や一般書は盛唐の人物に関する逸話を紹介しているものも多く、正史の列伝を翻訳しながら、その紹介を参考にして誤訳を避けるようにして、wikipedia項目を作成・改変しました。過去に翻訳(ただし、漢文の書き下し)が行われた『資治通鑑』もあって、とても助かりました。
 今となってみれば、官職に対する理解が浅く、無謀なところもありましたが、それは間違いを恐れずに書いています。

 まずは、私の小説作品で主人公となっていた高仙芝・張巡の項目を大きく改変。これが2008年10月のことです。
 続いて自信がついてきたので、小説作品で準主役・ヒロインであった封常清の項目を作成。意外に昔の中国語で書かれた『旧唐書』・『新唐書』・『資治通鑑』をかなり読むことができます。漢文でも定例文が多い時はいけそうです。

 手ごたえを感じた私は、私が調べた盛唐人物の記事が、私の手によって他の方々に紹介され、これから多くの人に読まれ続け、私があげた参考文献によって歴史を調べ、創作活動に役立ていくであろうことに喜びを感じ、次々と作成・改変しました。

 まずは、私の小説作品、漫画原作作品に登場・設定は存在していた人物たちの項目を作成しました。

 これは当初の私の活動結果です。

2008年10月(改変) 高仙芝、張巡、高力士、陸羽、楊国忠、楊貴妃、霓裳羽衣の曲

2008年10月(作成) 封常清、許遠、南霽雲、姚誾、雷万春、李嗣業、辺令誠、吉温、王鉷、虢国夫人、陳玄礼、梅妃

2008年11月(改変) 楊貴妃

2008年11月(作成) 哥舒翰

 この場合、記事が長くなるだろう人物の項目を先につくりあげて、軸とするのが一番いいと感じ、充実した内容にするべく楊貴妃の項目の改変に着手しました。この時、中国のサイトに行き、『太平広記』などの原文から、翻訳されていない逸話を探し出すことも行っています。

2009年2月(改変) 楊貴妃

2009年2月(作成) 王忠嗣

 自信もついてきたので、続いては李林甫の項目の大幅改変に着手しています。人物の項目は次第にマイナーな人物まで及んでいます。

2009年3月(改変) タラス河畔の戦い、李林甫

2009年3月(作成) 皇甫惟明、楊慎矜、盧鉉、羅希奭、韋堅、李適之、陳希烈、牛仙客

2009年4月(作成) 張果(張果老)、師夜光、邢和璞、尹愔、羅公遠(羅思遠)

2009年5月(作成) 程千里、張介然、崔無詖、張守珪、宋渾、武恵妃、

2009年6月(改変) 梅叔鸞

2009年6月(作成) 張均、張垍、李瑁、楊思勗、王銲、裴寛

 大体、このあたりで私の創作作品において、同時代の人物は大体出そろいました。安史の乱で活躍した人物についてや李白や杜甫のような文化関係の人物は、調査が足りませんし、小説の舞台になった時代より少し前の開元時代の人物まで作成することは考えていなかったので、日本の遣唐使関係に着手しました。
 阿倍仲麻呂は私の創作作品でも重要人物でした。

2009年8月(改変) 阿倍仲麻呂

2009年8月(作成) 羽栗吉麻呂、羽栗翼、羽栗翔、弁正、秦朝元、藤原喜娘

 ただ、日本史関係になるともっと詳しい人が多く、さらに、かなりの改変が行われております。分野が違えば、上の人がたくさんいます。

 なお、この時には平行して漫画原作シナリオを書き続けています。作成したシナリオは最終的には、合計すると50本以上になっています。

文化関係項目の作成と改変も行う

 この頃から、歴史書に列伝がある人物はかなりなくなってきたので、文化関係の項目の作成・改変に着手していきました。
 文化関係は、歴史書の翻訳とはいかず、書籍から内容をとるわけですが、書籍からそのまま引用しすぎると著作権に触れますし、そのままだと長すぎたり、前後が切れておかしくなる上に、要約すると出典の部分を勝手に改変したことになりますから、どうやれば問題がない、著作権として問題がない正しい書籍からの引用ができるのか、いまだに理解できないところがあります。
 そのため、wikipediaの項目としては脚注をできるだけつけるように注意されていますが、あえて出典となる書籍のみをあげて、個別に注釈はつけず、読んでいる人自身で確認させるようにして、エッセンスのみを挙げることにしました。
 まずは、私の小説でテーマにした科挙の項目から取り組んでいます。

2009年10月(改変) 科挙

2009年11月(改変) 顔杲卿

2009年11月(作成) 蒋清、盧奕、李憕、達奚珣、顔泉明

 また、作品としては想定していた妓女ものの調べた結果を反映して、「妓女」の項目を作成しています。この項目が私のwikipediaにおいての最高傑作だと思っています。

2010年1月 教坊、妓女

 この頃は、漫画のシナリオだけでなく、ネームも作成するようになり、ブログも運営するようになったので、かなりwikipedia活動は中止していましたが、断続的には行っています。

 『歴代名画記』と『酉陽雑俎』を読んだので、盛唐の芸術家関係にも着手しました。

2010年5月(改変) 呉道玄、王維

2010年5月(作成) 李思訓、鄭虔、韓幹

 また、小説のディー判事シリーズを当時、愛読していたので、時代は違いますが、狄仁傑の項目の改変もしています。その後、狄仁傑をモデルとしたディー判事を主人公とした映画が何本も作られ、日本でも上映されたのでいいことをしたと思っています。

2010年11月(改変) 狄仁傑

 それから、文化関係の人物の改変と列伝のない人物の作成を行っています。さすがに李白と杜甫は余りに書籍が多すぎて、手はつけませんでした。

2011年1月(改変) 王昌齢、王維

2011年1月(作成) 崔希逸、令狐潮、蓋嘉運

2011年2月(改変) 王維

 文化関係では盛唐時代の史蹟関係も改変に着手しました。また、大きな項目となる人物では、安禄山が残っていたので改変に挑戦しています。なかなか出来がよい項目で、この時からほとんど内容が変わっていません。

2011年4月(改変) 大雁塔、大慈恩寺、小雁塔、

2011年5月(改変) 昭陵 (唐)、安禄山

2011年5月(作成) 華清宮、興慶宮、李亀年、胡旋舞

 李光弼項目の作成も想定していたのですが、安史の乱における理解が浅いので断念し、その故国である契丹の項目を改変しています。このころには、騎馬民族に興味を持ち、調べています。

2011年7月(改変) 契丹

最後の活動

 その後、創作活動自体をやめるようになり、TRPGに参加するようになりました。この時、行った活動は余りないのですが、書きかけの原稿が残っていました。また、いままで調べた内容について、できるだけwikipediaに反映したいと考えました。
 まず、私の作品の元ネタの一つとした『鏡花縁』を改変しました。これは清代に書かれた小説ですが、舞台が盛唐の則天武后時代であったため、私の作品に登場する主人公たちがこの作品の人物たちの子孫としていたものです。
 さらに、『山月記』の元となった中国の原典にある項目について触れた李徴の項目について作成しています。これも盛唐次第を舞台とした小説です。

2013年6月(改変) 鏡花縁、李璘、厳武

2013年6月(作成) 玉真公主、厳挺之、李徴

 しかし、調べた内容は、人物関係を除いて、まだ、かなりのものが残っていました。私としては迷った末、無学を省みず、唐の項目の改変を行い、wikipedia活動を終えようと思いました。
 元々、唐の項目は、かつて秀逸な記事に選ばれていましたが、wikipediaの記事のレベルが上がるについて、内容がそれほど詳しくなく、参考文献や脚注がないことで秀逸な記事から落とされたものです。
 私としては理想的な引用がよくわからないため、脚注はつけることはしないことにしていましたが、内容では秀逸な記事に劣らないものにしようとして、分野ごとに書籍を確認して内容を整理して、記事を書きこんでいき、参考文献の一覧を作成して、ほぼ現在のような内容になりました。
 今となってみれば、経済と制度については、私の知識では時期尚早で、雑多な知識が多くなり、かえってよくないことをしたのではないかと考えていましたが、その後は、体裁は色々と整えていただき、読むことができる内容になっています。
 ただし、情報の内容そのものは、私が書きこんだ当時よりは大きくは増えてはいません。
 唐の項目のデータ量は私の書き込みで、2013年10月で約2倍となり、2014年1月で約3倍となっています。
 本来は、玄宗の項目も予定していましたが、唐の項目の半分ぐらいの分量になりそうで、私の手に余り、書きかけのままで終わっています。 

2013年10月(改変) 唐

2013年10月(作成) 夫蒙霊詧、安思順

2014年1月(改変) 唐

 その調べた参考文献一覧がこちらです。

参考文献1

参考文献2

参考文献3

参考文献4

 これで、盛唐に関する私のwikipedia活動は終えています。Wikipediaについては、その内容であくまで概略を把握していただき、歴史書や参考文献をあたっていただければと思います。

 盛唐時代は中華ファンタジーでもモデルとなっていることが思われることが多い時代ですので、そういった創作において全く参考にしていないということは考えられず、多くの人の参考になっていることでしょう。
 また、楊貴妃関係の映画やFGOなどの作品で、楊貴妃関係が話題になった時は、wikipedia項目を主な参照としているようで、充実させ、誤った記述を改変した内容にしていてよかったと感じました。特に楊貴妃関係で「肥満」、「贅沢」、「無能」という旧来のマイナスイメージをその項目から強調しない形にして、評価できる部分を書き込んだのは、本当によいことをしたと考えています。

 そういった方々や歴史に興味を持った方々のために大きく役立ち、楽しませることに貢献しているのなら、幸いです。

終わりに

 このようにwikipedia活動は、とても地味な作業ですが、その項目を理解するために概略を説明し、正確に知るために重要な参考文献やリンクなど情報先を提供するため、現在のネット時代では大事なサイトです。
 鉄道関係などを見ると、失われていた大事な情報が記されていることもありました。
 私も一人のウィキペディアンとして、そのことに誇りを持っていますし、私自身もこの盛唐に関するwikipedia編集実績は、中国史に関する活動実績として、多くのブログと比較しても、誇っていい内容だと考えています。
 多くの中国史関係のサイトやブログは閉鎖したり、同人誌や有料で公開する記事にしていたために、多くの人に発表できないままで終わっていることを見ていると、情報を残すという意味では、大変、価値がある活動です。
 
 また、大抵の方は、wikipediaのアカウントと、自分のサイト・ブログ、SNSアカウントとリンクはされていません。アカウント名が違うことも多いでしょう。
 wikipedia活動は、ほとんどがネット上の活動実績に加えられないという前提のもとで行われており、承認要求とすらかなり離れた本当の意味での無償に近い、崇高な作業とさえいえると思います。

 Twitterでびっくりしたことがありました。
 歴史関係においてwikipediaで有名な編集者のお一人が、Twitterではほとんど無名な状態でした。ブログなどの活動をしていたら、こういったこともないだろうにと思いながら、私も少し寂しく思いました。個人的には、李徴や楊貴妃、安禄山などの話題が盛り上がっている時に、ネタを提供したであろう私が加われないのを寂しく感じることもあります。これほど、wikipedia活動というものはネット上の栄誉とすら、大きく離れたものです。

 私はネット上ではウィキペディアンとして、当時の私には多くの誤りもあっただろうと考えてはいますが、それも理解した上で、この時の活動について、胸を張って自分の活動実績だと誇って行きたいと考えている次第です。

 なお、現在の私のwikipediaの個人ページはこのようになっています。活動はそれからも対象時代を変えながらも継続しています。

まめ・wikipedia

 次回がありましたら、私の漫画シナリオ・原作の作成活動について説明したいと思います。

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