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金平糖

平成31年。

いまは関東を離れて、病弱な両親のそばで、普段の暮らしをこまごまとサポートしながら働いている。自分も少しは大人になったのか、親や家庭の有り難み、素晴らしさ、面倒臭さ、そして高校生の頃には全く見えていなかった闇を満喫している。この闇は深い、深いぞ。

平成を振り返るこのシリーズもあっという間に最終回を迎えた。こうやってモソモソとnoteを書くことは、社会の流れの振り返りよりも、過去の自分と向かい合う作業になった。
最終回は、東日本大震災後に心を荒ませてしまったあとのことと、一人のゲイが、自分の居場所について思うことを、つれづれつづっていこうと思う。



東日本大震災が起こってから、三ヶ月くらい経った頃だろうか。
毎日、自分の感情を鈍麻させて働いていたなか、福島から避難してきた人たちが、自分達の病院にも徐々にやってくるようになった。疲弊しているのが一目ではっきり分かる人、明るく振る舞っている人、治療中に泣き出してしまう人。
喪失体験をした人たちが口々に語る「もっとああしておけばよかった」という語りは、自分に「やり残したこと」を気づかせたのかもしれない。当時はその気づきを意識することはなかったが、ふと、これまで暮らした土地を尋ねるのを思いついては、現地の旧友たちに会いに行った。年賀状やメールで連絡は取っていたが、実際に会うのは20年以上振りという友人もいた。

再会した旧友たちはそれぞれに「変わってない!」「心が洗われる〜!」と言っていた。すっかり心を荒ませていた自分には、
「えっ なんで 俺、いま、こんななのに?」という戸惑いがむしろ大きかった。
正直に心の荒みっぷりを話すと「そういうことなら、荒んで当然!」という力強い反応が返ってきた。そうなのか。まあ、当然ならいいんだけど。そうか。荒んじゃってるけど。いいの?いいのね?そんなもんなのね?

そして、大学時代の友人と再会した流れで、大学のOBバンドの演奏にも初めて乗った。腕枕してくれた友人も来ていて、彼の子供の写真を嬉しそうに見せてくれた。屈託のない笑顔は当時のままで、自分が迷惑をかけていたと思いこんでいた相手が、いま幸せに暮らしていることにほっとした。

もしかしたら、旧友たちが話す俺についての思い出話が、荒んでいた俺の心を少しずつ癒していたのかもしれない。
過去の自分の善行とか、友人を励ました一言とか、爆笑もののエピソードとか、真剣に喧嘩したこととか、そういった自分のアイデンティティの欠片を他人に預けていて、当の本人はすっかり忘れている、なんてこともあるのだと思った。

また、父の転勤や自分の進学を理由に、これまで住んだ場所や友人関係から離れたときに、自分のアイデンティティの連続性を無理に断っていたことにも、このとき気がついた。本当は、慣れ親しんだ居場所から離れることは悲しくてたまらなかったが、家族や自分のためと思って我慢していたようだ。無理をして自分から切り離そうとしていた、好きだった場所や楽しい思い出もあらためて拾い集めた。

これまで、思春期も青年期も台無しにした気がしていたが、捨てたものではなかったのかもしれない。
失ったものはたしかに多かったが、よいものは発酵していたかのようで、旧友たちとの再会は、それらを拾い集めて、纏めて、未完の行為を済ませるという、自分の輪郭を補修する作業だったのかもしれない。独り相撲は、徐々に治まった。



ゲイとして生きてきて、あらためて思うことがある。
セクシャルマイノリティには、確固たる精神的な居場所を持てなかった人、持たないことを選んだ人、そして今も持っていない人が多いのかもしれない。
特に思春期に自覚すれば、周囲の言動やメディアの内容から、自分が異常だと当然考えるだろう。それを親が知ったらどうなるか、友人が知ったらどうなるか、と、自分が自分のままで安心して過ごせる場所を失うように思う。
親や友人に理解があったとしても、自分がそうだと知ってもらう過程にはリスクが伴う。本来の居場所から自ら精神的に距離をとることもあるだろう。
年齢が重なるにつれて、結婚して家庭を持つべきという圧力も強まると、もしかしたら、社会そのものが居場所ではなくなるかもしれない。
世界から無条件に受け入れられた経験がないと、自己肯定感も不安定になってしまう。俺も否定的なメッセージの中で生き、自己否定を内在化させてきた。
その自己否定をよく見つめると、怒りに近いことが分かる。自分を受け入れなかった世界に対する、怒りや恨みのような色を伴っている。
そして、それがときどき無意識の領域からにゅーっと手を伸ばしてきて、理由もなく情緒を不安定にさせたり、言いようのない虚無感を感じさせたり、世界に対して、冷淡な、諦めに似た感情を抱かせたりするのを自覚するようになった。

話は少し逸れるが、ゲイの世界でも、恋人という居場所ができたら、そこを拠点に新たに恋愛する(恋人から見たら浮気だが…)人をちらほら見てきた。
恋人がいることで初めて居場所ができて一人前になり、今までよりも自分を肯定できて、その土台から歩き出して、初めてほんまもんの恋愛ができるような感覚なのだろうか。ゲイは男性だから性欲が強い、とも言われるが、一部のオープンリレーションシップには、そのひとの自己肯定感も絡んでいるように思う。
俺はかつての彼氏に「浮気するけど、それで傷ついた時に居場所になってほしいんだよね」と言われたことがある。まるで、オカーチャンの代わりのようだ。今ならピンとくる部分もあるが、当時は理解し難かった。
自分自身も、自己肯定感を大幅に失っていた時、相手に対して居場所として過剰に依存したことがあった。思い出すと恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。あれは恋愛だったのか依存だったのか、今でも怪しい。あわわわわ。

仕事で接する患者さん、学生、同僚をみていても、自己肯定感の低い人は思いのほか多く、行動に顕著に表れることもある。マイノリティかどうか、意識上か意識下かに限らず、「ここは自分の居場所」「自分には確かな居場所がある」ひいては「自分には生きている価値がある」と心底思えるのは、案外難しいことなのかもしれない。

そして、ドンピシャな居場所を見つけられた人は強い。ゆるぎない土台を持っているように見える。
それが顕著に表れる場面は、適切な対象へ、コントロールされた羨望や怒りを向けられるかどうかと、世界とあたたかい距離感をもてるかどうか、なのかもしれない。

様々な人間がいる中で、この部分に注目したのには、俺自身の課題も色濃く反映されているのだろう。いまの俺はどうかというと、やはり、帰る場所のない、どこか宙ぶらりんな感覚を捨てきれない。家族や友人、同僚や音楽仲間という、たくさんの居場所に支えられてはいるが、チクリと、何か厄介なものが残っているのだ。長年、社会との関わりで醸造された意識は手強い。

平成は終わった。令和という時代も、決して明るくはなさそうだ。
これからもマイノリティの生きづらさは続くだろうが、これからゲイとして社会と関わる子供や若者のために、身近な人たちにカミングアウトを細々と続けていくつもりだ。せめて、小さな身近な社会から彼らに与えられるメッセージが、肯定的なものであってほしい。

そうしているうちに、自分の中に残るトゲトゲした小さな自己否定も、いつか、金平糖くらいになるといいな。きっと、甘さ控えめで、ほろ苦いのだろう。

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