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老いるということ

つれづれつづり、シーズン4は老後についてお送りします。
仕事で高齢者と接する機会がとても多いので、自分の老後とはいかなるものか、いつも考えてしまいます。すてきなおばあちゃん?になりたいものです。


仕事をしていてあらためて思うのが、独居高齢者の多さだ。たとえ家族がいても、配偶者に先立たれたり、遠方に住んでいたり、関係が悪かったりすると、支援はなかなか受けられず、孤立する。
高齢者本人たちも、多くは戦後の焼け跡世代であり、幼少期に心の傷を負っていることもある。過酷な環境下で自分を守り、生き抜いていくための苦しみは、性格の根底に根を張り、ふとした時に怖れとなって、攻撃性や頑固さにつながる。いわゆる老害と言われる人たちにも、何らかの事情が隠れていることもあるようだ。
どんな形で時代が変わるのか、自分がどのように老いるのかは予想がつかないもので「これを準備していれば大丈夫」なんてものが存在しないことを、支援者として痛感させられる。

いま、疫病が蔓延していることで、時代は大きく変化するかもしれない。そして、これを経験した自分は、きっと新たな価値観に基づいて行動するようになるだろう。医療の現場で働く者として、生き延びることができればの話だが。

高齢者の中でも、特に認知症の方たちと接していて感じるのが、世界とのつながりの大切さだ。
彼らの中には、過去の記憶を徐々に失っていく人が多いが、残っている記憶でなんとか世界とつながろうとする。たとえば、二十歳の時の記憶がかろうじて残っているなら、実際にいる周囲の人たちを学友や家族に見立てて、自分の存在を保とうとする。それが彼らの生存戦略で、自分を崩壊させない必死の努力だ。
一般的には、もっとも充実していた年齢に帰るといわれている。

つまり、私たちは、アイデンティティを全面的に記憶に依存している。
自分が認知症になるかは分からないが、もし記憶を徐々に失っていくようなことがあるならば、どんな記憶が、自分を世界につなぎとめてくれるのだろうか。その時に、自分がゲイとして生きたことは、充実した思い出として、活きてくるのだろうか。なってみないと分からないが、あまりそんな気がしない。
一番充実していたのは高校時代なので、ゲイとして悩む前の、そんな年齢にピョーンと帰ってしまうかもしれない。それはそれで、いいかもしれないけど。

40代の毎日を慌ただしく過ごしながら、いつかこの記憶が自分を救うのかもしれない、と思って、いま経験できることを大切に受け止めている。

早く、世界が落ち着きますように。




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