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根腐れ

平成23年。

この頃には、最初に勤めた職場を既に退職し、友人達と起業していた。
要領は良くなかったが、友人、従業員たちと現場をなんとか形にした頃。これからどんな会社にしたいのか、次は何をするのか。正直なところ、社長にあたる人物との衝突も多かったが、仕事に一番真摯に向かい合っていたと思う。

とにかく多忙だったが、同性愛者の友人に誘われ、音楽も再開していた。
専門教育を受けた人たちや、上手なアマチュアたちとの出会いが多く、自分はがむしゃらに音楽をしていただけで、決して上手ではないと分かった。音楽の世界が一気に広がり、よい刺激を受け、いい音楽を作ることに懸命だった。強い劣等感を感じていたのもこの頃だ。一緒に演奏するのに恥ずかしくないよう、必死に練習していたと思う。

音楽はとにかく充実していたので、話は仕事に戻る。自分たちの仕事は、事故や病気で障害を負った人たちが生きやすくなるよう手助けだった。
主に「これまで健康に暮らしていたが、事故や病気で身体の不自由や不便を強いられるようになった人たち」への、いわゆるリハビリテーションだ。

身体が動かせない、どうしようもない痛みやしびれがある、物事に集中できない、感情がコントロールできない、言葉が理解できない…  多くの困難の中でも、いわば「自分と世界とがこれまでに築いてきた関係が、突然ひっくり返ってしまった戸惑いや苦しみ」は、自分には想像することしかできなかった。

彼らもまたマイノリティであり、しばしば差別や過剰な配慮の対象となる。社会の仕組みから生まれる構造的な暴力も含めてだ。彼らが社会で受けた仕打ちを治療中に涙ながらに語り、歯がゆい思いをする日もあった。
仕事柄、個々の詳細には触れられないが、耳を疑う内容も少なくなかった。自分自身がセクシャルマイノリティであることも、共感や悔しさをより強めていたのだろう。

彼らの話を聴いているうちに、徐々に、長年の疑問が確信に変わった。
世の中には、他者を貶めて楽しく感じる人間も沢山いるのだ。そう聞かされていたが、それまでは全く実感がなかったのだ。かつて、自分に嫌がらせをしてくる人達にも「まあ、その人にも事情があるんだろう」「そういう風に学習しちゃったんだね」と思っていた自分は、随分なお人好しだったのかもしれない。「もともと世界との関係がひっくり返っていた中で、どうにか生きてきた」自分が、環境に恵まれていたことにようやく気づいた。遅っ。
自分の内面ばかり見ていて、余裕がなかったのかもしれない。人間社会との折り合いの付け方はもっと早いうちに習得すべきだったのだが。

今更「当たり前のこと」に直面して、急激に人間観が変わっていった三十路後半。
まるで、植物が根腐れを起こして枯れていくかのようで、思い返すと心が相当荒んでいたと思う。
友人に「そんなこと言う奴じゃなかった、おかしいよ」「元に戻ってよ」と言われるほどだったが、一方で「あなたも含めて、多くの人が”そんなこと”を言ってるのに、なぜ俺が言うと咎められるのかな?」と不思議にも感じていた。

そんな荒んだ気持ちで過ごしていたところに、東日本大震災が起こった。
テレビに映る濁流を見ながら、いい人もそうでない人も、必死に行きていた人も適当に生きていた人も、みなあっけなく死んでいくことを思い、呆然としていた。
経験したことのない絶望感、原発事故への不安、計画停電、誰のためか分からない自粛が続く中、より灰色に映るようになった世界で、仕事を、音楽を、淡々と続けた。

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