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追々の老い 2「両親の老い」

 テーマ「老後」の第2回となります。少しずつ親等下がっていく感じですね。
 これもなるべく考えたくないなと思うのですが、避けては通れぬ話題です。まだ祖母の介護については協力しつつもまだ他人事のような部分も多かったです。下の世話、褥瘡の手当て、そういう所も一生懸命母は介護していました。その姿を尊敬しつつも、でもどこか「私はこんなに親の面倒を見たのだからお前も私の面倒を見ろ」という無言の圧力をかけられているようにも見えました。口に出して言われた事はありませんが性格的に思っていることでしょう。
 介護施設に入居させるのであれば別ですが、そうでなければいずれはそうなることに間違いはありません。そして前回言った通り、長寿の家系。母が私を生んだのは三十代半ば。何歳から介護が始まるかはわかりませんが、先が長いことは間違いないでしょう。

 さて、ここで父の話が出てきます。大変喜ばしいことに父も健在です。そして、関係は非常に良くない。これはもう昔からなのですけれど、そしてもしかしたら父親と離別していないゲイあるあるなのかもしれませんが、昔から父親とはほぼコミュニケーションを取ってきませんでした。仕事人間で真面目で不器用だったことに加え、母とも良好な関係とはいえず、ことあるごとに衝突していました。子供はどうしても母親の味方をしてしまい、結果として父だけが家族から孤立しました。家族一緒に出掛けても一人でどんどん歩いてしまったり、用事が済んだらすぐに帰ろうとしたり、アルコールが入ると饒舌になったり、そういうマイナスな思い出ばかりです。もし私が普通の男の子らしく野球に興味をもっていたりすれば違ったのかもしれませんが、残念ながらおままごとやごっこ遊びが大好きでスポーツにはみじんも興味を見せなかったので、どう接したらいいのか分からなかったのでしょう。
 今でもその関係は変わることなく、もはや関係の修復など考えてもいません。それはそれで別にいいと思いますが、果たしてこんな人間の介護などができるのかと考えると頭が痛くなります。絶対怒り痴呆になるタイプ。

「自分の親を介護するのはやめておけ」という話も聞いたことがあります。どうしても冷静に介護ができず共倒れになってしまうことを言っているようです。介護疲れの果てに無理心中や介護殺人のニュースも他人事には思えません。あれは自分の未来の兆しなのではないかとぼんやり見ています。避けねばならない事だけれど、誰もが当事者になりかねない。
 親の介護問題を解決するのは、技術なのか、サービスなのか、それとも。

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