見出し画像

ライトさに憧れたヘビーな人の話

俺は重いらしい。
いや、「らしい」ではないな。

ここまで20年ほど生きて、いろんな人に出会い、なんだかんだで濃い時間を過ごし、死にたいと思ったり、死ねないと思ったりしてきた。
本当に人生って川みたいだなぁって思う。川の中にある石ころみたいな感覚。流れが穏やかな時もあれば、激しい時もあって、浮いたり沈んだりしながら、色んな石(人)に出会って、当たって削れて形を変えながら最終的にはみんな同じ海(死)に向かって流れていく。そもそも自分が「〇〇川の中を流れています」と自覚することも不可能だ。それに川に流れるっていうのは偶然の繰り返しだから、今どの地点にいたとしてもこれからどんな形になって、どんな場所に行き着くのかなんて想像のしようがない。

俺は「行動力あるね」って言ってもらうことがたまにある。でも、謙遜とかではなくて、本当に自分が行動力ある人間だとは思えない。振り返ってみて、自分が意志して選択したというよりは、自分の川がそういう川だったという感覚が強い。つまり「選択して偶然こうなった」ではなくて「ただ偶然こうなった」という感覚だ。そこに「選択する」という能動的感覚は薄い。

さて俺は今、どんな川のどの辺にいるんだろ。


ほら、こういうところだ。
こういうところが既に重い。
これを書いている今、俺の心は割と正常だ。
特段何かあった訳ではない。
ノーマルでこんな調子だからnoteも長くて生真面目で重ったるいものが多い。二郎系文章とでも言おうか。いや、二郎系ラーメンに失礼か。

まぁそういうわけで、自分の性格が重いっていうのは自覚している。

これまでの人間関係、特に恋愛がうまくいかなかった理由の多くをこいつが占めていると思う。とにかく何かしらが常に不安で、適切な距離を間違える。
結果、最近では恋愛の「れ」の字もない。

若干話が逸れるが、大学の課題で「食事をテーマにGoogleフォームを使ってアンケートを作成し、回答を20人以上から集める」というものがあった。そのアンケートの中で「普段誰と食事しますか?」という設問を用意した人は何人かいて、ほぼ必ず「恋人」が選択肢に用意されていた。しかし、自分は用意していなかった。完全に忘れていた。恋人と食事するというシチュエーションを全く想定していなかったのだ。

それくらい恋愛とは疎遠である。

そんな、重い人間が最近軽さに憧れを持った。

ごめんなさい。これが本日の本題。
「ライトめな文章が書きたい」
である。

そこで、俺は何かしら考えていないと不安というのが4割くらいあることも起因して日常的に色んなことを考えているから
それを1,000字以内くらいで少しずつ書いていったら面白いかなとか思ってる。

最近でも、
大人になるってどういうことだろう、とか
なんで電車だと空いている席があれば座ろうとするのに、バスの2人掛けの席に1人が座っていると一直線に座ろうとしない人が多いのかな、とか
自由には責任が伴っているよなぁ、とか
こんなことが頭の中をぐるぐるしている。

これがライトめな文章なのか甚だ疑問だが、、、

…懸念点は内容や更新頻度以前に、既に1,000字を超えていることだ。
1,500字以内にしようかな、、、笑
先が思いやられる

1,374字


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?