見出し画像

備忘録。16

 小説や映画、アニメの感想を適当に呟く時に1文字1文字の細かいニュアンスが気になってしまう。1文字程度で大きな誤解が生じることはほとんどないと思うが、伝えたい内容が正確に表現されているかをどうしても気にしてしまう。普段から70文字程度の短文を作っている職業病みたいなものかもしれない。


1.辻堂ゆめ『卒業タイムリミット』(双葉社)

 最近は2010年代以降の作家を意識的に読むことが多い。これといった理由があるわけではないが、現代の小説の物語の世界は、数十年前と比べて格段に広がっている印象を受ける。『medium』や『屍人荘の殺人』などに代表される特殊設定ミステリがその証左であろうか。本作は、そのような特殊設定ミステリではなく、卒業式の3日前に発生した女性教師の誘拐事件を巡る推理小説だ。
 本作で描かれる誘拐事件のタイムリミットは、卒業式の日までの72時間だ。そのため、事件を早急に解決しなければならない、という緊迫感が常につきまとう。しかし、事件解決のために集められた4人の高校生のやり取りはどこか、読者を安心させるような緩さがある。いきなり集められた4人が誘拐事件ではなく、ある生徒の落とし物を探すために推理する「日常の謎」のような緩さだ。事件の真相も難しいものではなく、ミステリー初心者にもおすすめの一冊だ。

2.村上春樹『街とその不確かな壁』(新潮社)

 これまでの記事では「超有名作家の超有名作品」を紹介することが少なかった。読んでいないというわけではない。ただ、それらを紹介しないのは、「どちらかというと、有名でない作品を紹介したい」という理由と、「クイズの場で出題したいから避けている」という2つの理由がある。しかし、今回、あえて「超有名作家の超有名作品」を紹介した理由は1点である。
 「超有名作家の村上春樹の作品って、結局どう?」ということを考えたかったからである。私自身、村上春樹があまりに有名であるために、別に急いで読む必要がないと思い、彼の長編小説を読むことを避けていた(短編集は別)。そこで、前述した疑問が湧き上がった私は、最新作を読むことにしたのだ。
 本作は実に不思議な物語だ。「僕」は10代の頃に1歳年下の少女と恋に落ちた。「僕」は彼女とデートを重ねる中で、彼女の本物の姿があるという「壁」に囲まれた街を2人の想像で作り上げた。2人の関係もさらに深まると思われたが、彼女からの連絡はいつしか途絶え、「僕」は大学を卒業し、社会人生活も折り返しにさしかかっている。そうした生活の中である日、「僕」は「壁」に囲まれた街に迷い込む…という展開が第一部では描かれている。第二部以降も、「壁」に囲まれた街や、「本体」と「壁」の存在について言及されながら、物語は終着点に向かう。
 正直、このあらすじで本作を1%も説明できていないと思う。それだけ、この作品の持つ力というものは実に大きい。ただ、作品のテーマや主題らしきものが見えてくるまでに時間を要する作品という印象を受けた。私は第一部まで、本作が面白くなると全く思っていなかった。しかし、第二部の描写が盛り上がるにつれて、「壁」に囲まれた不思議な街について自然と興味が湧いてきた。急激な展開があるわけではないが、じわじわと作品世界の魅力を読者に伝える技術はピカイチという印象を受けた。これは、物語の設定や展開だけを指して指摘しているわけではない。本作を読んでいて、私は知らない語彙がほとんど出てこないという印象を受けた。私は普段、本を読んでいて気になった語彙、あるいは、知らなかった語彙をメモすることが多いが、それでも本作(672ページ)を読んでいて3個程度というのは、非常に少ない。もちろん、ジャズミュージシャンや楽曲などをメモすると、3個より多くなることは必然であるが、それを含めても読みやすいと思う読者が多いのではないだろうか。しかし、読みやすいからといって、あらすじも簡単というわけではない。その絶妙なバランスが、ただ文字列を追い、あらすじを把握するだけで事足りるような小説との違いをなしている点であると考える。結局、「村上春樹の小説は面白い。しかし、常日頃読むことは疲れるので、時々読みたい」が結論であろうか。

3.辻村深月『東京會舘とわたし』(文春文庫)

 村上春樹の小説を読んだ時期と比べると数ヶ月のラグがある。その間、本を読んでいなかったわけではないし、紹介したいと思う本がなかったわけではない(「成瀬」など)。しかし、「これ!」という直感のようなものが働かなかったのだ。本作は約100年前に庶民の社交場として開かれた丸の内の東京會舘の歴史を10人の視点から辿る物語だ。短編集というものは、どうしてもそれぞれの短編に好き嫌いが生まれてしまうが、本作はそれが一切なかった。本作の短編は全て面白い。また、本作は単に物語の面白さだけでなく、歴史の面白さを備えている。本作に登場する10人はフィクションの中の登場人物ではあるが、その中にはモデルが存在する人もおり、彼らのプロフィールや東京會舘の実際の歴史を確認すると、フィクションに近しいノンフィクションがそこに存在していたことに心が躍らされる。また、本作は上巻と下巻で物語全体の雰囲気が変化している点が面白い。おそらく、関東大震災や戦争が背景にあった上巻と、高度経済成長以降の下巻という時代背景の違いによるものであるが、それが物語に飽きを生まないようになっている。東京會舘、訪れてみたい。

 3月までに京都の書店と喫茶店の紹介記事を書きたい。

#読書 #小説


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?