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東京島

ご覧いただきありがとうございます。

これは、「東京島」:桐野夏生(きりの  なつお)さんの紹介です。

40代の中年夫婦が那覇港からクルーザーで世界一周の旅に出たのはよかったが、なんと三日後には嵐に遭遇し、数日間の漂流ののちにとある島に流れ着いた。

漂着した島をあとで歩いて調べてみたら、縦7km 横4kmのつぶれた腎臓のような形の島だった。

沖縄を出帆して数日の航海でたどり着いた島なのだから程なく二人は発見・救助されそうな気もするがさにあらず、それから長い時間が経って行った。

流れついた島は、南海の場所もわからない無人島だったのです。


ここまで読んでいただけた方のなかには、アメリカで2,000年前半からに2010年までの数年のあいだアメリカで放送されて人気のあった「 ロスト 」:飛行機が南の島に墜落し、生き残った乗客たちのその後の姿を描いたTVドラマ、を思い出したかも知れない。

無人島に取り残された生存者の物語という点では同様である。

さて、東京島に戻ります。

最初中年の夫婦2人が流れ着いた時には誰もいなかった無人島が
数年が経つうちに変化していった。

始めに加わったのは、与那国島の野生馬の生態調査に雇われた東京近辺からのフリーターの青年たちの23人だった。

かれらは生態調査の仕事の雇用条件が聞いていたものと違うと不満を抱いて小舟で脱走した挙句に漂流しこの島に流れ着いた。

次に現われたのは11人の謎の中国人グループ(のちにこのグループはホンコンと呼ばれるようになる)で、ボートで連れてこられてこの島に置いてきぼりにされたのだ。

無人島だったところに、数年をかけて夫婦2人+日本人フリーター23人+中国人11人の所帯となったのである。


所帯といっても日本語のわからない人々もいたり、怪しげな人間もいたりだったので、島の同じところに皆が固まって住んでいたんではない。

トウキョウ、トウカイムラ、オダイバ、ホンコンなどと島のそれぞれの地域に名前つけてねぐらにし始めたのである。

そんなことで、ある時期からこの島は、

男女の人数の比率が、男性35人、女性1人という極端な構成の人間たちの住むところとなったのである。

40歳を超えた中年女性「清子」1人と、男性は清子のだんなの隆をのぞくと全員が清子よりも年下という関係の間柄のあつまりである。

そんな人々が、もともとの自分の家に帰るべくいろいろなことを行っていく。それでも外部と接触もままならない。日々の生活を送るだけでも大変だ。

そして、いろんなことが起こってすったもんだする。

さて、何が起こって、いつまでこの東京島と呼ばれる島での生活がつづいていくのか⁈ 女性1人で大丈夫か⁈

興味は尽きないでしょうが続きを知りたい方は、

「東京島」を読んでみてください。


読む前に読者が想像した清子たちの将来像と実際に描かれている現実とは
どれほどの差があるでしょうか、それとも想像通り?

さあ、読んでみましょう!!!

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