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土布の倒大袖

和服が日常着だった戦前の日本では、絹は労働をしない人が着るもので、労働をする人たちは綿やセル(ウール)のような丈夫な布を使い、絹にしても普段着から礼装まで、シーンに合わせて着分けることをしたようだが、同時期の中国服も和服同様、いやそれ以上に身分の違いで着るものも使う布地の量も、もちろん素材も違っていた。
 
おうちがいい人や美を売りにする商売の人々―例えば妓女―は絹を着たし、働く人は木綿や麻を着た。そりゃあ働く人たちだってお出かけの時には一張羅を着たが、それは例えば阿媽(メイド)がいつも着ているだぶだぶの白の上衣に黒のズボンの素材を木綿から絹に変えたりといった程度で、当時は着衣である程度身分がわかるような仕組みの世の中だったのだと思う。
 
だから全国各地からよそ者が集まる上海では、お里がバレない分少しでも自分を上に見せようと不相応に着飾って見栄を張る風潮があり、それが中国最先端のモードをつくりだしていったわけだ。
 
さて、中国では手織りの布(主に綿布)のことを「土布」と呼ぶが、この土布などは身分という点では一番わかりやすい部類で、明らかに農村に住む人々のための布だ。手織りだからごつごつと厚手で、摩擦に耐えるようにできている。
 
上海の近郊でも1980年代くらいまではこの手の土布が結構織られていて、かつて大上海の胃袋を支えていた農村地帯の松江や青浦あたりで織られた布が、今になってその素朴さがいいとデッドストックがもてはやされていて、崇明島ではその技術が上海市の無形文化遺産に登録されたりしている。
 
土布は基本先染めで、図柄は織ってで出すものだが、江蘇省南通市近郊の啓東や海門、1958年に上海市に併合された崇明島(58年以前は江蘇省)では「印花土布」と呼ばれる珍しい後染めの土布が作られていた。
*印花土布については過去記事をどうぞ。

私の中国服のコレクションは都会の女性が着た絹の服が多いが、実は素朴な土布も結構好きで、昨年暮れに値段が上がらないうちにと、無地や柄が込み入りすぎない織りの土布をまとめ買いした。中でも無地の濃紺でずっと作ってみたかった服があって、それが今回作った短丈で倒大袖(ラッパ袖)の上衣だ。

倒大袖で丈の短い上衣は、1920年代に都市部のお嬢さんの間で流行している。ちょうど上海女性が旗袍を着始める前後の話だ。袖も身頃も末広がりなので、きゃしゃで小さい若い女性によく似合う。まさに骨細で小作りの江南女性にぴったりの服だ。
 
そんな都会的な服を農民向けの濃紺の分厚い土布でつくるというのは、身分の差がはっきりしていた1920年代当時にはありえない発想だっただろうし、今も素朴さが強調されがちで、土布でなにかを作るというと、いかにも「素朴な労働着の服」になってしまい、実際その手の服はいくらでもある。
 
それではあまりにつまらない。だから、普段は絹を着て土布には全く縁がないような当時のお嬢さんに着せるような服が作りたいと思った。だから、都会のお嬢さんでないと似合わない倒大袖の上衣が最後に残った。
 
作るといっても私は裁縫の素人だし、作るものが今風の中国服ではなく100年前の倒大袖だから、昔の裁縫の本を傍らに置きつつ、コレクションの中からサンプル用に何着か引っ張り出してきて、衿はこっちの服、シルエットはこっち、裏の始末はこっちと、欲しい要素を切り貼りする作業をする。だから無駄に時間がかかるし、ロックミシンがない時代の裏なしの中国服は、縫い代の始末にものすごく手がかかる。

縫い代なんて見えないんだから何も昔通りにやらなくても…と思う人は多いだろうし、実際今の「復古調」の中国服で昔通りの始末をしている服は見たことがない。
 
でも、今の中国服ってどんなに縫製が良くてもどこかのっぺりと平坦に見えて、それはどうも縫い代の始末やら糊付けやらといった、手縫い中心だった頃の作業が関係しているのではないかという気がしてならない。だから面倒でも昔の通りにやるしかない。気休めかもしれないけれど、売り物じゃあないのだから、自分が気の済むまで手間と時間をかけて、納得いくものを作ればいいと思っている。
 
デザインも同じだ。
土布は手織りでそれなりの厚みがあるから、絹地のように繊細な飾りボタンや細いパイピングが作れない。だから売っている土布の中国服のボタンも、素朴路線で太くて大きいものばかりだ。それでは倒大袖のシルエットとの整合性が取れない。

そもそも昔の中国服のボタンは今のものよりずっと細くて小さいし、パーツの細やかさも都会的か否かの分け目になるから、ボタン用の布は限界まで細くした。今の中国服のボタンは絹地でも大体1.8〜2センチの幅を取って作るけど、私は土布でも1.5センチ幅にして、ギリギリの細さと小ささを目指している。

1.5センチ幅にバイヤス(斜め)に裁った共布をさらに左右からたたむので、実質の幅は7.5ミリ。それをさらに半分にたたむので、出来上りのボタンの太さは4ミリ弱。1ミリの差でも仕上がりが変わる

ボタンのデザインがなかなか決まらず、ああだこうだと試作を繰り返しているうちに嫌になって放置したり、中国服のかなめとも言える襟ぐりの裁断を間違って嫌になって放置したり、ついには飽きて菓子作りに逃げたりもしたが、なんとか形になったものを見たらやっぱり美しい。
 
私は裁縫の素人なので、裁縫のプロが見たら間違ってると思うところがあるかもしれないし、今の縫製ではムダだと思うところもあるかもしれない。なのでここから先の有料エリアは、それでもヒロヲカがどんな縫い方をしているか見てみたいという物好きか、投げ銭でもしてやろうかと思う奇特な方か、大まかでもいいから昔の中国服の構造が見てみたいという前向きな方にお勧めする。
一部のサンプル画像は以前作った土布の旗袍のものを流用した。

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