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凪良ゆう『星を編む』

高校の同級生のストーリーズで、続編が出ていることを知った。もう何年も会っていない子で、高校生の頃に本の話をしたことはないし、特別仲が良かった記憶もない。いまとなっては、感想を語り合えたらどんなに幸せだろうと思うも、本を読んだあとの感想ほど、見たくないものまで見せてしまうものはない気がするので、知らないままが幸せなのかもしれない。
なんて考えていたまま数ヶ月。仲がいい(と思っている)先輩とご飯にいって、「はい。読む?」と貸してくれた。ああ。これだ。この感じだ。まるでこの一連の流れが始めから決まっていたように再生をされる。然るべくして読む本なのだと再認識した。借りてから読み始めるまでに1ヶ月もあいてしまったのはご愛嬌。

「北原先生が好きだったら、きっとこの本でもっと好きになるよ」と言われて渡されたけど、正直なところ北原先生という人すら朧げで。凪良ゆうさんの本はすごく好きだけど、すごく好きゆえに一気に読み終えてしまうので、世界を思い出すまでに時間がかかってしまう。そういえば、1ヶ月かけて毎日毎日ちょっとずつ、繰り返し音読しながら読み進めた国語の教科書の話でさえも、ほとんど覚えてないや。

そんなときに役立つのがnoteの読書感想文なのだが、ええ。まあ。こういうもんです。

しかたなく、ネタバレサイトでだだーっとあらすじを漁り、なんとなく世界を掴んで、読み始める。
こんなときに、手元に本があればなぁと思う。やっぱり凪良さんの本は手元に置いておきたい。買っちゃおうかなぁ。でも本がこれ以上家に溢れてしまうと大変なことになるのは目に見えているので、電子書籍か…。そろそろ本当にタブレットを買おうかな。ここ数ヶ月ずっとカゴに入れたり出したりしている。

話を戻す。
『星を編む』を読み始めてからは、あっという間に、いや、次第にゆっくりと、彼らの世界を思い出す。世界としてはかなり近しい現実世界なんだけど、彼らの関係性の独特さたるや、なんたるや。北原先生はどうしようもなく好きで、嫌いで、許せなくて、許してしまう。
3つの章から成っていて、1つ目は、北原先生の過去編。2つ目は『汝〜』のラストと被る形からその後、3つ目は2つ目の話の最後と被る形から未来の話だった(と思う。読み終えた後に記憶を改変しているかも)
2つ目の話は、編集者の話で、最近の某原作者脚本家問題を想起させ、タイムリーで(小説の方が前)、業界に根強く残っている問題だと感じだ。誰も傷付かない傷付けないあたたかい世界であってほしい。
(ここでふと推しがTwitter(X)を始めたときに、『X始めちゃってます。優しい世界にしような!』とツイート(ポスト)していたことを思い出す)
今回は饒舌ですね。

1つ目の話は、北原先生のことを知ると同時に、なんかもやもやしていた部分がすっきり回収される。ただ、このすっきりというのは、しがらみがなくなって晴れやかというよりは、柔らかいナイフのようなもので丁寧に切り分けて並べ直すようなそういう。そっか、北原先生ってそういう人だったなと。そういうというのは別に、いい人なだけが北原先生ではない。まあ、いい人なんだけどね。いい人で、ずるい人で、優しくて、優しくない人。
2つ目の話は、先に触れた通り、だけど、いちばんなんか普通のとは言わないが、よくあるわけでもないが、想像しやすい成長の過程だった。ただただ、櫂くんと尚人くんが報われて、よかった。
植木さんと二階堂さんも、幸せでいてほしいな。私をこの本の中に投影するのならば、いちばん近いのは二階堂さんだろうと思うので、どうか、希望であれ。
3つ目の話を読みながら、すっかり忘れていたけれど、そういえば瞳子さんとお父さんのこと、好きじゃなかったなと思い出す。私は暁海ちゃんほど大人じゃないから。でも、誰かにとっての新しい道を歩きはじめるのも、それもまた、人生だよねと結ちゃんに教えてもらってからは、好きになったわけじゃないけれど許容できるというか、受け入れているわけじゃないけどあるものとして認められるようになった。だってもう、ある、んだもん。きっと暁海ちゃんママもそんな感じだったのかな。私にはまだわからないや。

そんな感じで、今回はまともに感想文を書いてみました。やっぱり小説はいいものだ〜
ここ最近仕事に追われていて自分の時間というものを作る気すら起きなくなっていたから、久しぶりに自分を取り戻せた感じです。
読み終わったの、夜中の1時過ぎだったけど。

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