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立志、そして、生きるテーマを決めたよ。


先日、自分について、
深掘りをさせて頂く機会を頂いた。

自分という人間が、
なぜ、いま、このような状況下にいるのか。
自分という人間を
形作ったのは、一体、なんなのか。

曖昧であった部分を、
今一度言語化させなければならない
状況になったおかげで、
今までの自分自身の歩み、
そしてこれから起こるであろうことに際して、
自分という人間の人となりを
見直しさせてもらっています。


今回の記事のトップ画を撮影してくれた、
大変お世話になっている寺岡未貴ちゃんに
貸してもらった本の中に、
吉田松陰が大切にしており、松下村塾の生徒たちにも説いていた
とあることが書いてありました。

立志について、松蔭さんが詠んだ漢詩です。

立志尚特異  立志は特異を尚(たっと)ぶ,
俗流與議難  俗流は與(とも)に議し難(がた)し。
不思身後業  身後の業を思はず,
且偸目前安  且(か)つ目前の安きを偸(ぬす)む。
百年一瞬耳  百年は一瞬のみ,
君子勿素餐  君子素餐(そさん)するなかれ。

-

志を立てるためには
人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちは どうかいたずらに時を過ごすことのないように

現代語に訳すと

志を立てるためには,人と異なることを恐れてはならない。
俗世間の人々と議論をすることは難しい。
彼らは後世に影響を与えるような仕事のことは考えずに,
目前の安楽を求めているのだから。
人生は一瞬に過ぎない。
君たちは,どうかいたずらに時を過ごすことのないように。

【名言解説】人と異なることを恐れるな!〜吉田松陰,志を立てる〜


わたしは今まで、
言葉にして志らしい志をたてたことが
なかったので
今の自分にしっくりくる志について考え、
一つ、答えが出ました。

立志、であり、わたしの生きる上でのテーマ。


「お湯のように、 人々を包み、 温める。」


兼ねてからnoteでも書いているのですが、
わたしは、大好きな、お湯になりたいのです。
お湯のような、人になりたい。

皆で、湯になる体験を共有する。
そのためには、湯とは何か、ということに
ついても考え続けてきました。

自分の居場所がなかったわたしは、
居場所がなかったのでなくて、
居場所をつくってこなかった、のだと
気づくことが出来ました。

- コロナのおかげで。


また、世界的なパンデミックにより
世界に混乱が起きたことで
わたしは吉野 敏明さんという
医師に出会いました。

子供の頃から嫌いだったお風呂の時間。

今では、お風呂の時間は
大好きでとっても大切、
大好きを飛び越え、
お風呂やさんになってしまい、
もうすっかり、
お風呂に魅せられてしまいました。

(吉野医師について、初めて知った当初は、政治的活動を行うような人になるとは思ってもみなかったですし、わたしはどの政党も特別に支持しているわけではないです、念のため….。。)

参考:日本人なら半身浴をするな?正しい入浴法で得られる3つの効果についても徹底解説

この吉野医師とチョーさんの
記事にあるような入浴方法が
わたしには非常に合っていて、
10代の頃から
低体温で35℃台だった体温が、
今現在、36°台に。
以前より確実に体の免疫力が上がりました。
加えて、ずっと悩まされ続けてきた生理不順が改善されてきました。

若い頃、半身浴がいいよ〜〜、と
言ってもらい試したこともあるのですが
わたしは普通に入るよりも苦痛でたまらなく、
風邪をひくのがオチ、、と
いったところだったので
体質的にも、もともと熱湯が
合っていたことも体温を上げることの
できた理由の一つなのだろうと思います。


- ひかりを見せてくれた沖縄という土地。


2022年、わたしは
沖縄に10ヶ月住んでいました。

今思うと、たったの
10ヶ月だったのか、という
驚きとともに
やはり、時間というものは
流れているのではなく、
伸び縮みしているのかなぁなんて考えたりしますね、(とてつもない余談!笑)

わたしが出会った沖縄の方々は
あたたかく、包んでくれるような
優しさに溢れた人たちでした。

もちろん誰だって、罪を宿す人間です。
意地悪を言う人や、人を騙す人、
穴に突き落とそうとする人もいるはずです。

それでも、
わたしは出会ってくれた島の人たちの、
清濁併せ吞むような心意気であったり、
ウチナータイムであったり、
よんなーよんなー
(「ゆっくり、のんびり、こっちは急いでないから、自分のペースでね」の意)に、
たくさん救われました。

居場所がなかったわけではなく、
居場所を作ってこなかった、のだということ。

今思い返せば、
その冷たく突きつけられるような真実に
当時もうっすら気づいていたような気がします。


沖縄のあたたかい風や
人や海や太陽

中乃湯から上がり、
ふわ〜っと流れてくる風に触れると

「まあ、いっかな〜。」

となり、不安や心配で
ガチガチに固まっていた
自分がだんだんと
溶けていきました。

本土から沖縄に帰ると、
なんだか沖縄って、
お湯みたいだな〜と思うようになり、
その感覚は帰るたびに強くなっていきました。


- 日記を振り返って


冒頭にも書いたように、
自分自身についての深堀りをしていく中で、
今までの日記を見返していました。

奈良県へ銭湯修行をするため、
昨年の10月に沖縄をでました。
沖縄を発つ日に
大好きだった家で書いた日記です。

かなり照れ臭い、
でもなんかいいじゃんね〜と思ったので、
載せます。


今日は 2022年10月28日です。
朝、沖縄を発ちます。
私は、沖縄に色々なものをもらい、
それと同時に サヨナラもしました。

今までのわたしはさようなら。
これからの私は、未来の沖縄で待っている。
そう思います。

一旦、この島を出るけれど、居場所がなかった私、居場所を探し求め続けていた私に光を与えてくれました。光を見せてくれた。大切なものが 分かり始めた。フィルター越しでしか見えていなかった未来のくもりが、ばっと晴れたみたいな気持ち…。この家が大好き、家に、部屋に、たくさんたくさんありがとう、と伝えた。本当に、口に出して言った。伊佐の、海沿い、をずーっと歩いて、なんて心地のいい風が吹くんだろう、、、、と思ったりした。
ここで生まれて育ったら、子どもの頃から、こんな、やさしい、心地いい風みたいな子になりそう…とか考えていた。
本当にふわあ、としていて、やわらかくて、冷たくなくて、あつくもなくて。

このまま、風にのれそう、
このまま、風になれそう、
このまま、全てが調和して、
全てが流れるまま、宙に溶けて、
自分なんていなくなって、
別にいいかもね、なんて感じた。

ぜんぜんこわくない ぜんぜんイイね
むしろ気持ちよさそーだねー、ねー・・・

デザインとかアートもすてき、たのしい、
自分が作らなくても、作っても(やりたければ)いい。
ああ、なんて気分がよいのだろう。
究極級、私が 沖縄のユーフルヤー文化を残さなくてもいい。
誰かがやるよ、もしそれが本当に必要なら。
ムリにせおわなくてもいい、手のひらに乗せて、ふんわりさせる。夢って、それでいいんでない。目標ってそれくらいで いいんでない。

エゴイスティックに、「私がやる」とやることではなーーーーーーい。


私が

愛に包まれた

くるみもちみたいに。
くるりと、


4行書いたのち、
カッサカサのペンに変えたのは、
なーぜなーぜ


今年の7月、私には新たなる夢も出来ました。

お湯のおかげで、
たくさんのブロックがとけました。


「夢ができたよ」 2023.7.24

私の夢は、お風呂屋さんになって、
子どもと夫と幸せに平凡な毎日を送ることです。
笑顔で、日々を温めて、人々を温めて、
「幸せだナ」と感じてもらう、
自分たちも思う、
そんな毎日を送ります。


素直すぎる、いいね

ひとりでは達成できないのが面白く、
叶えごたえ(?)のある夢が出来て、
叶っても叶わなくても、夢が変化してもいいけど
夢ってなんだろ〜な〜と
常々思っていた自分としては、
まず、夢ができたこと、
そして、夢に気づけたこと、
それが素晴らしい!!と
日記にも書いてありました。

ここのnoteにも
書いたことがあるかな?と思うのですが
私は恋愛とか男女関係に
まつわる様々なことが本当に苦手で、、

苦手というか、うまくいった試しがなく、
(そもそもうまくいくということも
よく分かっていなかったりするのかもしれない)
どうにかしないと、と思って
鍛錬してきましたし、まだまだ勉強中ですが

子どもが欲しいんだ、と
素直に言えるようになり、

誰かと家族になりたいと
素直に言えるようになったこと

それだけでも、私としては大進歩でした。
2023年のハイライトと言っても
過言ではないほどに。


- 軸は湯


優しい風と共に、湯になりたい。
共に湯になり、揺蕩いたい。
日々をあたため、人々をあたためたい。

お風呂に入っている間だけでも
日々の喧騒を忘れ、不安や恐れからも解放され、
みんな幸せと思える世界(=今のところでは銭湯という居場所)を作れたら♨︎

「は〜ここは桃源郷や〜」が
口癖のおばあちゃんが御所宝湯にいて、、
そんなふうに思ってもらえる場所が
作りたいです。

お湯のように、人々を包み、温める

超 略したら、

「湯になる」です。笑

今後はこれを心の軸として
生きていきます。

--

♨︎Thank 湯 ①



みきちゃん が貸してくた
吉田松陰の「立志」について
書かれている本はこちらです。
善い本でした。
どうも ありが湯❤︎♨︎



彼女が書いてくれた「湯」なる
私についての記事!笑
もう5ヶ月も前のことなのですが、
本当に嬉しかった、
改めて、嬉しさ噛み締めまくって
嬉しさ倍増、マシマシしてます。


上記の本についても
彼女なりの視点も加えつつ
瑞々しい感性で真摯なことばを
綴ってくれています。


さてさて、今日の"最近のありがとう出来事"へと移ります。



先日、仲良しなある友達が、近況や今後の展望をわっくわくしながら声色では踊りまくりながら、話してくれました。





「わたしは湯になる。


湯になりたい。」




とてもさらっとまとめられるような密度じゃないので割愛しますが、詳しくはこちら💁‍♀️笑

湯になる、幹になる。どんなことがあっても揺るがなく、ただ在れるような


彼女が以前、伝えてくれた言葉が
胸に響き、、、、というか、響いた、という
言葉ではおさまらないほどに
私の全身に
沁み渡って、噛み締めて、記事を書きました。

彼女が言ってくれたことばを、
私は日々噛み締めて生きている。

「湯になるためには、流されるままに、
流れ、委ねるという意志」

が必要、だと。



その意志は、
固いものではなくて、
柔らかい意志。

湯が持つのは、やわらかい意志。


♨︎Thank 湯 ②

大好きな布作家の飾人さんこと、
カタギユリさんがnoteを始められたようで、
記事の中で私のことも
書いてくれました!(ひゃーあ!)

また詳しくnoteに書きますね。

私の作家時代の作品(布)に
新しい息吹を吹き込んでくれている、
すごい方です。

ありが湯ございます❤︎♨︎

♨︎Thank 湯 ③

「湯になる」ということば

それを導き出したのは、
わたし一人の力ではありません。

宝湯の修行で
たいへんお世話になった…
という言葉では収まりきらないほどに、
大切な大切な仲間(とわたしは思ってる)に
なってくれた、
御所宝湯番頭 太田有哉さんとの会話で、
"湯になる"ことへの憧れが生まれました。

今年の冬のことです。
銭湯の裏側を密着して
YouTubeの番組を制作されている
”湯のウラch”さんに、取材して頂きました。

サムネイルにも、"湯になる" という
文言まで入れてもらったように、
取材の中でも湯について、
私たちはお話しさせてもらいました。

こちら(上記)は後編ですが、
よろしければ
下記↓の 前編もぜひ。♨️

おーちゃんとの会話がなければ
湯になる、という志も
立てられなかったわけです。

宝湯で修行できて、本当によかった。

寝袋を抱えて、
寒空の中、大泣きしながら
奈良のまちを彷徨った日のことは
絶対に忘れません。

ここに書けないような
さまざまな事柄が起きました。

いつか、自伝に書いたら?と
どなたかに言ってもらったことがありました。
なので、それまでは公には言いません。

歯を食いしばって、なんとか
生き抜いてやる、
生きたい、乗り越えたい、
負けてたまるか、と思い
耐え忍び、乗り越えました。

最近聞いた、
とある人が言っていた言葉。

"憎しみという感情が生まれるのは、
赦すための準備をさせてもらっている"

のだそうです。

苦しかった事柄に対する
思いの手放し、赦すためには
大変なプロセスがありました。

苦しかったり
辛かったことを、誤魔化さず
その感情があった自分を許して
受け入れること

他の誰でもなく、
自分で自分に許可を出して

つらかったよね
くるしかったよね

と抱きしめてあげることで
赦せるように、気持ちが変化していきました。

…そろそろこの話、重くない?笑

とにかく

いつでも味方でいてくれた、
おーちゃんに、大感謝。

共に過ごした時間は、
信じられないくらい
たくさん笑い合いました。

本当に、たくさんありが湯❤︎♨︎

御所宝湯、大好きです。

御所宝湯は最高の銭湯。

--


お湯のように、人々を包み、温める。

今日もおつかれさまです♨︎
おふろに入りましょうね〜♨︎

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