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何を面白く感じるか?(2022.4.23)


2022年4月23日 日記


ブログは少しお久しぶりです。
4月、体調を崩したりなどして、
グラフィック(ロゴデザイン)の
お仕事も行けなかったりで、
なんだかばたついていました。
私個人として揺らぎが生じるような出来事が
立て続けに起こったりで、
正直参っていたところで、
高熱が出たりなどでダウンしていました。

さて、
久しぶりの更新で何を書こうか、と考えて、
沖縄に来てからというものの、
自分という人間のつまらなさに
辟易としているということでも
書こうかな、と思ってブログを書いています。

所謂、世間一般に流布しているような
ネットサービス、テレビの配信みたいなものだったりは私はやらないので、
流行りに年々疎くなっているんですね。

それでいて、テレビも家には置いていないので、
〇〇をみた?みたいな会話にも
もう乗れなくなっていることに気づきました。


この2年ほど、
人里離れて完全に隔離された
世界で生きていた間に、
色々と自分という人間が
変わったのだな、と改めて
痛感している日々な訳であります。

そういった生活を始めたとき、

「また戻りたければいつでも戻れるわ」

という感覚だったのですが、
じゃあ今戻りたいか?
またそういったメディアが作った何かに縛られる生活を送りたいか?と
自分に問うと、完全に「NO」な訳です。

それ自体がつまらなく感じる、だとか、
くだらないぜ、と思うのだとか、
そんなことはどっちでも良いし、
どうでも良くて、
それよりもリアルな人間の生活、営み、思想、
どういうことを考えて生きているのか、、?

そちらが面白く感じるようになっていて、
割く時間を単純に取ることができないんだあ、と。

ある意味、自分の要領の悪さを
自己認識できるように
なったからこそ、
そういう生き方を選んでいるんだな、
とも言えます。

私が素敵だな、と思うような人たちの
生きかたや思想は、
どんな生活から
成り立っているのかな、と考えると、
メディア的なものとは
隔絶された中で育まれているのだと思います。

それを娯楽として、
エンタメとして楽しむのは別ですが、
自分というものを形作るのは
日々の積み重ねであるからこそ、
どういう1日を過ごすかは
未来の自分のための投資でもある。

 
でも、人と比較すると、
自分の引き出しが面白くないような気もして、
生活の中に娯楽を消しすぎているのかな、、と
心配になったりもしています。

何事もバランス、と言うけれど、
バランスを計る測りが壊れている場合も
案外多かったりするんじゃないかなと思ったりもしています。




「自分という人間のつまらなさ」と
いう表現をしたが、
間違っていたとのちに気づく。
自分がつまらないわけではなく、
ただ単純に
自分の周りの人間との間で、
大事にしていることや日々の営み、
価値観に
大きな違いがあったのだ。
(2023年・夏)

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