逆スノースマイル

 冬の寒さが幾分和らいだ一日、着ていく服に悩んだのは急に暖かくなったから、それだけではなく女性と会う日でもあったからだった。ベージュのコーデュロイパンツに紺のシャツというカジュアルとスマートカジュアルの間ぐらいの服装に、コートを羽織って出かける。
 午後七時、約束の時間の五分ほど前にお店に到着し、予約名を告げると、カウンター席に案内された。目の前に薄い板が二枚置かれていて、片方にはドリンクメニュー、もう片方にはフードメニューが書かれた紙が貼り付けてあった。メニューを見ながら、相手を待つ。時間通りに店にやってきたその人は、少し写真と雰囲気が違っていたけれど、それを言ってしまうと自分だって写真とは別人なのかもしれない。そもそも人間の体を構成する60兆個の細胞は、細胞分裂によって日々新しいものへと入れ替わっているから、誰もが昨日の自分とは別人なのだと思うことにした。
 私はスパークリングワインを、彼女はサングリアを頼んだ。乾杯をして、フードメニューに目を向ける。一人で飲み切るドリンクは頼みやすいけれど、シェアすることが前提の料理の数々は頼みづらい。自分が率先して決めると、引っ張ってくれる頼り甲斐のある人だと思われるかもしれないし、強引な人だという印象を持たれるかもしれない。逆に相手に任せると、自分の意見を柔軟に受け入れてくれる人だと思われるかもしれないし、優柔不断な人だという印象を持たれるかもしれない。どちらにしてもどちらにも転ぶ可能性があるのだろうけど、結局バランス感覚が重要なんだろうとも思う。メニューに書かれた各カテゴリーから提案をし、提案を受け、何とかフードのオーダーを終える。
 仕事の話、趣味の話、海外経験の話、アルコールの助けを借りて話はそれなりにはずむ。
 相手がトイレに立ったときに、周囲を見渡してみると、少し離れた隣の席にもカップルが座っていた。その二人も自分たちと同じようにマッチングアプリで繋がってここに来ているのだろうか。お互い敬語ならそうかもしれないと耳をそばだててみるが、会話の内容までは聞き取れない。とにかく、日本語はこういうときに関係性が透けて見えるから、便利でもあり、不便でもある。
 海外に住んでいたとき、現地で知り合う人は私のことをファーストネームで呼んだ。日本にいるときは人と近しい関係性を築くのが苦手な、人見知りなところがある私でも、多くの友人に囲まれ楽しく過ごすことができたのは、敬語のない英語で、下の名前もしくはニックネームで呼び合う文化の中にいたからだろうか。そんな文化が羨ましくもあるけれど、関係性が変わるにつれて言葉遣いが変わっていく過程が楽しめるのも日本語ならではだと思う。その過程はこの人とは見込めないような気がする、という予感を抱きつつ、ワインを流し込む。恐らくお互いがこの場限りになるという感覚を抱きつつ交わす言葉の空虚さ。
 地下鉄で帰る彼女とJRで帰る私はお店の前で別れた。イルミネーションで彩られた銀座の街を歩く。
 冬が寒くって本当に良かった。君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きする為のこの上ない程の理由になるから。BUMP OF CHICKENがそんな歌を歌っていたけれど、今日が暖かくて本当に良かった。そんなことを考えながら、有楽町駅へと向かった。

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