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人としての興味

なんとなーく数年前から、お正月に春風亭小朝師匠の落語を聞きに行くようになった。

私は本当に色々なことに興味を持つ人間で、音楽だけではなく、落語にも推しがいて、それぞれ様々な推し方をしている。

古今亭菊之丞師匠は、ワタシ的にはとーんときていまして、おっこちきってます。
あの、女方の菊之丞師匠のしぐさ。たまりません。

桃月庵白酒師匠には、パンクを感じますし、春風亭一之輔師匠には哲学を感じます。その他、キョンちゃん、昇太師匠、、、たくさんの噺家さんの落語を聞いて楽しんでいます。

いつだったか、小朝師匠の独演会に、何をきっかけかも覚えていないけれど、行くことにした。確か初めて聞いたのは井戸の茶碗だったと思う。井戸の茶碗と言えば有名な噺だと思うので、ちょいちょい聞いてきたが、小朝師匠の井戸の茶碗は個人的にかなり衝撃を受けた。聞いた後に、いや〜!井戸の茶碗を聞いたな!と、謎な満足感を感じたのでした。

と、言うのは、落語って噺家さんの話を見て、観客が頭の中でその風景を思い浮かべると言う、言葉を介して観客の想像・妄想を促し、観客が自分の妄想で笑ったり泣いたりするという、宇宙空間的なコミュニケーションをしていると、私は思っている。

そして、その観客の妄想はある意味、自由に描ける面白さがあると思うのだけど、小朝師匠の落語は、いい具合に妄想の自由を奪われて、小朝師匠の見せたい世界だけを観客全員が聞いているような心地よさがあって、私は大好きなのです。

小朝師匠が、いいか!このシーンは、この解像度でこの鮮度で見ろ!と言うような感じで、小朝師匠の見ているシーンを小朝師匠の後ろから一緒に、うんうんうんうん。と、頷きながら見るような感じです。

そうね。そんな感じ。

他の噺家さんの落語を聞く時、向かい合って聞いていたり、頭上から聞いている感覚なのだけど、小朝師匠は背中から聴かせてもらってる感じというか。

そんな感じです。

今年は初めて両親を誘い、小朝師匠の落語を聞きに行った。私は、父はきっと小朝師匠の落語を好きだろうと思っていた。

帰り道で、誰の落語が1番面白かった?と、聞いたら「小朝だな!」と言ってくれて、色々な意味で嬉しかった。

今年は出来る限り、父の話をたくさん聞こう。たくさん質問して、父という人間を知りたいなと思っている。

父や母は、私にとって親であるが、一人ひとり人間としての個性と人生がある事を、親だからこそ忘れてしまいがち。

昔は、両親の事を親子の関わりの中でしか興味も持たなかったが、月日が流れ、この人間に興味があるなぁと思ったし、知りたいなぁと思うようになってきている。

そんな事を大切にして、今年は日々を過ごしていこう。
今年はなんだか、今までとは違う年になりそうだと思うのは、私の内面が変化してきているという事なのだと思う。

それを振り返った時に、成長したと思えるように、日々を生きていこう。

今年もよろしくね。

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