世界最古のベニス・カフェの瀬戸際

フロリアン入り口前回廊

ベニスのカフェ・フローリアンが廃業の瀬戸際に立たされています。言うまでもなく新型コロナパンデミックが原因です。

カフェ・フローリアンは1720年12月29日に開業しました。ベニス最古の、おそらく世界でも最古のカフェと考えられています。

昨年12月29日がちょうど創業300年の節目でしたが、都市封鎖下のベニスでは飲食点の営業が禁止されています。

禁止が解かれても、観光客でもっているカフェ・フローリアンは生き延びられません。ベニスにはほとんど観光客がいないのです。

カフェ・フローリアンは開業300年記念を祝うどころか、店の扉さえ開けられないまま昨年暗い年末を過ごし、年が明けた今も店の営業ができずにいます。

カフェ・フローリアンはひとことで言えば喫茶店ですが、歴史と物語と文化に彩られて、もはや単なる飲食店ではなく古都ベニスの欠かせない一節になっています。

店は17世紀に完成した街の行政館の回廊にあります。建物の完成から80年後に開業しましたが、店自体も古色美しい荘重な雰囲気に満ちています。

大理石のテーブルの間を完璧に正装したウエイターが行き交います。壁の金箔や絵画や年代ものの装飾品などがそれを見つめています。

カフェ・フローリアンはカフェ・ラッテの発祥地としてもよく知られています。軽い食事も提供されます。だが店の醍醐味は飲食物ではなく充満する「時間の雰囲気」です。

「時間の雰囲気」の中にはカサノバからバイロン、ディケンズからヘミングウエイ、チャップリン、ワグナー、そしてアンディ・ウォーホルなど、など、世界中のセレブが残した夢の残り香も含まれています。

カフェを訪れた世界の有名人は枚挙に暇がありません。いま述べた人々は記録に残っている大物のほんの一部ですが、記録にはなくてもベニスを訪れたあらゆる分野の世界中のスターは、1人残らず店を訪れている可能性があります 。

ベニスを旅する一般の観光客も、ほとんどの人が カフェ・フローリアンを訪れているのではないでしょうか。訪れないのは、おおかた店の名を知らない者ぐらいでしょう。

仕事とプライベートでベニスを頻繁に訪れる筆者も店内を撮影したり、店の内外の席で飲食を楽しんだりしてきました。その経験から訪問者は店の「雰囲気」に魅了されるのだと実感として分かります。

店は常時70人ほどのスタッフを雇い、夏の最盛期にはさらに多くのスタッフが働きます。 カフェ・フローリアン=ブランドは、2019年には1千万ドル以上の売り上げがありました。

ところがコロナが蔓延した2020年にはその80%が失われました。ワクチンが行き渡るなど、劇的な展開がない限り、ことしも見通しは暗いようです。

カフェはロックダウンが始まって以来、国からの援助を一切受けていないといいます。倒産の瀬戸際にあります。おそらく決定的な閉鎖に追い込まれるでしょう。

とは言うものの―これは私見ですが―ベニスの歴史の一部をなす店は、たとえ倒産しても誰かが買い取って事業を継続するのではないか。由緒ある店にはそれだけの魅力と価値があります。

だが言うまでもなく、そうやって再開された店が、これまでの優雅な雰囲気と伝統と心意気を維持していくのかどうかは不明です。

イタリアの多くの歴史的なブランドやモニュメントや工芸や商品などと同様に、中国人ビジネスマンやロシア系商人らが、新しい伝統を作ろうと群がり集うのかもしれません。

また近年はカフェ・フローリアンも、母体の古都ベニスも、ボー大な大衆観光客に占領されることが多くなっていました。特に中国人旅行者が目立ちました。

ところが新型コロナの猖けつで事態はふいに転回しました。たとえコロナが終息しても観光客はすぐにはベニスに戻らない、という分析もあります。

それならばそれで、ベニスもカフェ・フローリアンも、昔日の実態と面影を取り戻すチャンス、と考えるのはたぶん単なる希望的観測なのでしょう。

たとえその可能性があるとしても、ベニスの街自体はともかく、カフェ・フローリアンが将来も存続しているのかどうか覚束ない、というのはとても寂しいことです。

facebook:masanorinakasone

official site:なかそね則のイタリア通信

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