ともだちのはなし

こんな題材で気持ちを書いてみる。

私は親友と呼べる存在の友だちが何人かいる。人生そんなに素晴らしくはないし、悲しいこともたくさんあったし、私はなんだか、恥ずかしいやつだ。

アホなミスやとんでもない不運が多いのだ。

チャリンコを漕いでいると、鳥のフンにヒットしたこともある。

まじで電柱とぶつかるやついる?いねーよな。わたしや。

大学では100人を超える学生の中からの教授のランダム指名を引き当てる。

友人「やっぱこうなると思ってた。」

そんなやつでありながら、自分の人生も嫌いじゃないのは

友だち運が宇宙レベルで見ても最高だからだ。


自分の弱いところや嫌なところをさらけ出せる。

本当にダメになりそうな時は絶対にいる。何もせずとも、いる。

「あ〜わたしってニコニコ自分作って愛想振りまいて、きもー」

よそのクラスの子達に手を振りながら、廊下を歩いていた。

「八方美人顔広いと周りから思われたい妖怪」だった高校生のあの頃

そう漏らした私に彼女は笑いながら言った。

「ほんまそういうとこ、あるよな」


これってすごいことだって、後で気づいた。

そんなところは確かに良い側面ではないけど、

そんな部分を知っててもそばにいるよ

そんな暖かい友だちが一人いれば人間、生きたかいがあると思うけれど、

何人もいるのだ、私には。

ああ私、私でよかったなあ、ラッキー!


こんな私も赤子の時からこう、というわけではなく、

悩んだ経験がある。

自分をさらけ出せず、周りが子どもに感じ、ひたすらに自分がにくかった小学生の頃に出会い、以来人生の一冊に君臨し続けるバイブルがある。


重松清さんの『きみの友だち』

「きみ」とその友人の葛藤を描いた短編小説集である。

わたしは最初、怖かった。

「きみ」こと恵美ちゃんにわたし自身を見透かされている気がしてならなかったから。

いま、大人になって考えると、わたしはこの本を通して、自分の弱さを見透かすことができたのだと思う。怖がっていた恵美ちゃんの正体は、わたしだった。

自分の大きさを知るのが怖かった。

この本にはいろんな人物が出てくるのだが、どのエピソードが好きかを

決めることができなかった。

わたしがヨッシーだった時も、ブンちゃんだった時も、

堀田ちゃんだった時もある。

何度も何度も読み返してボロボロになった。

恵美ちゃんのような強さと優しさを、

わたしも少しは持てるようになったのだろうか。



時は過ぎ、現在25歳

きみの友だちは今も、わたしの本棚のよく見える場所、

いわゆるスタメンの位置に座り続けている。

そう、きみの友だちはわたしの友だちになっていた。




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